がんになっても-希望と新しい生活

2010 年 8 月 21 日 土曜日

大手広告会社営業部長、死の淵を潜り抜けた472日間の白血病とうびょう

カテゴリー: 闘病記 — kunsan @ 8:21 AM

奇跡は待っていても起こらない。自ら道を切り開いた不屈のパワー 葬式の最中に「すぐ会社へ戻って来い」 98年、東京ドームで『メリルリンチ スーパードームシリーズ〈日米野球〉』が開催された。 大リーグを代表刷る強打者サミー・ソーサらが参加し、イチローや松井稼頭央が世界へ飛躍刷るきっかけともなったこの球宴は、野球ファンのみならず多くの日本人を釘付けにした。しかし、そ...[続きを見る]

2010 年 8 月 13 日 金曜日

脳腫瘍がくれた2つのビッグな勲章奇跡のカムバックを遂げたストッパー・盛田幸妃

カテゴリー: 闘病記 — ourmatch @ 8:44 PM

もりた こうき 1969年北海道生稀。函館有斗高校卒。 88年横浜大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)にドラフト1位入団。 92年には佐々木主浩とのダブルストッパーで大活躍。最優秀防御率のタイトルを獲得刷る。 98年近鉄バッファローズへ移籍。シーズン中に脳腫瘍が見つかり、12時間に及ぶ手術を受ける。 99年10月、392日ぶりに1軍復帰。 2001年34試合に登板し2勝をあげ、チーム12年...[続きを見る]

2010 年 8 月 8 日 日曜日

脳卒中を克服し、このよう膀胱がんにも負けなかったジャズの巨匠、藤家虹ニさん不良患者それで、がんに負けないんだよ!

カテゴリー: 闘病記 — yxmdodo @ 8:08 AM

ふじか こうじ 1933年、広島県福山市出身。東京芸大卒業。ジャズ、クラシックの両分野で活動し、映画「未来しょうねんコナン」やテレビテレビの音楽担当でも活躍。50周年音楽になりますは、12月6日、東京・有楽町朝日ホール ジャズに限定されない規格外の名手 藤家虹二さんは、日本のベニー・グッドマンのような存在だ。単にジャズ界の大御所というだけでなく、グッドマン同様、ク...[続きを見る]

2010 年 5 月 30 日 日曜日

絶望しながらも「何とかして生きて痛い」と願う。そのため葛藤が続いています詩人・福島登さん

カテゴリー: 闘病記 — pop @ 5:30 PM

がん抱の男 その日、春風の中、おそらく怖い京都・四条大宮の駅前でジャーナリスト・柴野徹夫さんの車に拾ってもらった。黒っぽいセダンに乗り込みながら、初対面の挨拶を交わす。2回り離れた物書きの先輩が、取材の案内役を買って出てくれた。 柴野さんは2003年4月、詩人・福島登さん(73歳)の初めての詩集『鈴かけの樹』(つむぎ出版)を世に送り出した。ハンドルを切りながら、...[続きを見る]

2010 年 5 月 22 日 土曜日

決してあきらめないで、自分にあった治療法を捜して欲しいと笑顔で訴えるその若々しい姿30代半ばで肺腺がん、10年間で8度の治療を受けた主婦の壮絶なとうびょう人生

カテゴリー: 闘病記 — acl888 @ 5:53 AM

まうっかり かおる 1961年3月2日生稀。 1998年4月国立がんセンター病院で肺腺がん右上葉切除手術、 2002年3月同病院でシスプラチン・ビノレルビン、放射線治療。 2004年3月同病院で放射線治療。 2006年3月都立駒込病院で定位放射線治療、6月国立がんセンター病院でイレッサ投与、8月同病院でシスプラチン・ゲムシタビン投与、12月名古屋共立病院で頸部定位放射線治療とTS-1投与を受け...[続きを見る]

2010 年 5 月 17 日 月曜日

佐々木一十郎名取市長が語る「子どもたちに、正確じゃなく引き継いでいける自立したまちを」末期の上咽頭がんに打ち勝って地方行政に手腕を振るう

カテゴリー: 闘病記 — gmxx @ 5:17 PM

ささき いそお 昭和25年1月10日 仙台市生稀(58歳) 昭和47年12月 東北工業大学建築科中退 昭和51年10月1日(有)佐々木酒造店入社 昭和59年7月日名取市選挙管理委員会委員(~昭和63年3月31日) 平成4年2月1日 名取市議会議員(~2期) 平成10年3日 (有)佐々木酒造店代表取締役就任 平成10年11月12日 がん宣告 平成11年11月30日 放射線治療開始 平成11年 3月26日 退院 平成...[続きを見る]

2010 年 2 月 26 日 金曜日

女性誌の名編集者・西條英子さんが説く多重がんに打ち克つ生き方次々にがんに襲われても、絶望刷るのは15分だけ!

カテゴリー: 闘病記 — ciama @ 2:26 AM

にしじょう ひでこ 1937年、東京都生稀。 1959年文化出版局に入社。 1964年結婚、1男1女の母。1989年退社。 1990年ステッチ設立 会社を興した矢先の告知 西條英子さんは文化出版局で女性誌『ミセス』の副編集長、『ハイミセス』の編集長などを歴任後、同僚だった女性編集者Kさんと出版・編集を手がける会社「ステッチ」を設立し、企業広報誌やファッション関係の書籍の編集に辣腕を...[続きを見る]

2010 年 2 月 8 日 月曜日

「がんになって得をした」と思痛い開業医(小児科医)/医療過誤原告の会会長 久能恒子さん

カテゴリー: 闘病記 — kunsan @ 2:39 AM

「医師のくせに医師を訴えるどんなに」 「生きててよかった、という感じがします」 開業医の久能恒子さんは、2003年6月26日、福岡地裁小倉支部の前で、晴れやかな笑顔を見せた。この裁判の間、3度のがん手術を乗り越えてきた。胸には、三女・紹子さん(享年17)の遺影を抱いている。 久能さんは、紹子さんを11年前、医療事故で亡くした。紹子さんが受けた医療は、それまで久能さん...[続きを見る]

2010 年 2 月 3 日 水曜日

がんと「闘う」のじゃなく、「共に生きる」が生存力の秘訣くり返し襲って来年は、将来の乳がん転移の恐怖を乗り越えて

カテゴリー: 闘病記 — freenessfish @ 2:03 PM

あらかね さちこ 昭和63年、乳がんで左乳房摘出手術。 平成2年、肝転移。 平成12年、脳下垂体へ転移。 平成14年、肝転移再発。化学療法による副作用で心停止。ペースメーカー装着。 平成18年3月、肝臓に3度目、平成19年2月に4度目の再発。 呉きょうさい病院在宅医療指導管理室師長を最終的に、6月に退職 半分が病後だった36年の看護師生活 荒金幸子さんは雨のなかスペシャルな傘を...[続きを見る]

2009 年 12 月 25 日 金曜日

押し寄せる苦しみの大波にも、「前進、前進」の心看護師・鈴木厚子さん

カテゴリー: 闘病記 — ourmatch @ 12:25 PM

普通の生活に戻りたい 初めて鈴木厚子さんに出会ったのは、都心にも秋の気配が濃い10月下旬のことだった。 「がん患者のメンタルケアにうっかりて、体験談を聞かせて欲しい」 そのため不意にの頼みを快く受け入れて、スペシャルな池袋のホテルまで出向いて来てくれたのだった。 鈴木さんは、どこかしょうじょのような雰囲気を残した女性だった。一見華奢しかし、そこから発せら...[続きを見る]

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