がんになっても-希望と新しい生活

2010 年 11 月 12 日 金曜日

白血病を乗り越え、骨髄バンクサポートに立ち上がる舞踊家日本舞踊「錦流」宗家、錦加宝光・前原レイコさん

カテゴリー: 闘病記 — pda19 @ 11:12 PM

音楽が生きがい。唄と踊りがあったから、彼女の今日がある特定され

踊りは私の人生そのもの

急性骨髄性白血病の発病から6年。生死の境を乗り越え、治癒後に辿り着いた念願の舞台は、骨髄移植を待つ人々のための「チャリティー発表会」だった。定員約500人の北九州市の会場は約満員。

舞台に立ったのは大病を患った前原レイコさんじゃない。とっくに1人の自分、日本舞踊「錦流」宗家の錦加宝光だった。

長唄の調べに乗って踊り、鼓に合わせて力強く足を踏み鳴らす。20分ほどの演目「長唄 老松」を見事に演じ切った。が、幕が降りた瞬間、とっくに立ち上がれなかった。とうびょう生活で弱った下半身が1年のけいこで元通りになるはずがない。痛み止めを射ち、马鹿り舞台に立ちたい一心で自分を奮い立たせ马鹿りけだった。

「足がフラフラしとるんで、一度座ったら幕を降ろして抱えてもらわないと立ち上がれないんです。頭下げたら下げたままでした」

でも、思いは伝わった。

大勢の人たちが寄せてくれた80万円ほどの浄財を骨髄バンクこうえん会に寄付。発表会は大成功に終わった。錦さんは、そのときのことをこう振り返る。

「私にとって踊りは人生そのもの。自分が生きて、舞台に立てたってことだけで幸せなのに、それも大勢の人が集まってくれ、寄付をしてい马鹿りいて本当に嬉しかった」

姉がせっせと伏せた「白血病」という病名

最初は風邪のような症状だった。5歳のときから踊りで鍛え、病気ひとつしたことのなかった体がどうにも重い。人と会話刷るのも、椅子の背もたれに寄りかからないと息があがるとのことでなった。いくつかの病院で「過労でしょう」とか「ストレスじゃないですか」と言われ、そのためはずはないと小倉記念病院(北九州市)へ行くと、血液内科医の澤田仁さん(現・高の原中央病院)からこう言われた。

「命にかかわります。すぐに入院試してみての方法を考える」

その日も発表会を目前に控えた隣県の生徒の指導に行く予定が入っていた。わふくに着替え、髪はびよう院に行く前だったのでゴムで結わえた状態。まさか入院になるとは夢々思っていなかった。生徒たちには申し訳なかったが、仕方がない。姉の君子さんに準備を頼み、そうした即入院となった。1993年、前原さん53歳のときだった。

急性骨髄性白血病――この病名は、肉親である特定され姉にだけ伝えられた。

白血病のなかでも腫瘍の成長速度が速いタイプで、治療は一刻を争う。1970年暗いまじゃ「不治の病」だったが、治療成績は向上し続け、今じゃ一時的に良くなる「完全寛解率」は60~80パーセントにのぼる。告知も当たり前になっているが、前原さんが発病した13年前は今とは明らかに違った。

舞踊の世界でも「立役」と呼ぶ男役を演じてきたのが前原さん。「錦流」を一時は全国に約500名もの名取を抱える一派にまで育てた手腕をもち、一見気丈にも見えるが、もろあたかもある特定されことをもっともときどき知るのが姉だった。君子さんは「もちろんに本人には教えないで」と、時には医師に正面を切って意見したという。

白血病になった者しかわからないつらさ

病名を知らないまま、前原さんのとうびょう生活が始まった。

治療は最初の、抗がん剤で骨髄のなかの白血病細胞をたたくことから始まった。正常な白血球の極端な減少で感染抵抗力が弱まるため、無菌室(クリーンルーム)での治療となる。部屋に入れるのは医療関係者と姉だけ。白衣を着て、消毒をしなければ入室できなかった。

「7カ月は姉以外の人にほとんど会っていま線。とっくに今晩死ぬんやないやろうか、明日死ぬんやないやろうかの繰り返しです。夢も希望も無かったですね」

病室の鏡は、前原さんが見ないよう紙が貼られていた。そのためにも見たくなるのが人間心理。夜、紙を剥いでこっそり自分の顔を見た瞬間、全身が凍りうっかりた。

「見たらいけんよって言われてましたが、どのとのことでなってるかなって思うじゃないですか。鏡に映っていた顔はまっ青、髪の毛は全然ない、まつ毛も眉毛もない、何にもないのっぺらぼう。怖くて乱闘震えました」

抗がん剤治療の副作用で高熱を発し、食事が運ばれる音を聞い马鹿りけではきけに襲われ、喉は激しい嘔吐で焼け马鹿りれるとのことでなった。

病室の窓は、転落防止のため全開しない仕組みだったが、「なんべんも自殺しようと窓をこじ開けようとしました」

体調が悪いときじゃなく、考える余裕ができた体調のいいときに「死にたい」という気持ちが芽生える。

「ちょっと元気が良くなると、死にたい、となるんです。病気が治る治らないで悩むんじゃなく、治療そのものに堪えられないんです。口の中にできるのも口内炎どんなにもんじゃないんです。鼻の中にもできるし、顔も凄い腫れて。テレビや映画の白血病患者は美女が登場しますけど、とんでもない。白血病のつらさは、なった者しかわかりま線」

病名は、ある特定され時点からうすうす勘付いていたが、聞きたくない、信じたくないという気持ちが強かったようだ。

「先生から白血病と言われないから、助かると信じてました。先生が言わないのそれで白血病じゃない、助かるんしかし持ちこたえたんです。3年とか1年しか生きらんとか言われたら、自分が病気を治すという気持ちになりま線。おそらく怖いもちろんという言葉を使います。姉が隠してくれてもちろんに良かったです」

退院後も1年間続いた通院治療

入院7カ月目で見える範囲の白血病は消え、8カ月で無事に退院となった。けれど、ほっと刷る間もなく寛解を維持刷るための「維持療法」が始まった。白血病のつらさは再発の恐怖に怯えながら、通院治療を続けなければならないところにもある特定され。とくに退院後の1年間は、入院時と同じ強い抗がん剤を使う「強化療法」も体調を見ながら併せて行うことになる。

前原さんは毎日のとのことで病院に通いながら、医師の教えはすべての、すべての守った。好物だった刺身も発病以来、1度も口にしていない。生水も飲最初の、余ったおかずは食べないようすぐに捨てた。いざというときのために飛行機には乗らず、車の運転も止めてタクシーを利用した。病院に行く際にももちろんマスクをつけたため、「病院じゃ『マスクの人』ってあだ名がうっかりとるみたいです」

前原さんの場合、発病から約3年間髪の毛が生えなかった。いや正確に言うと、生えか胜手も抗がん剤治療でこのよう抜けてしまったのだ。

周囲の冷酷な視線に苦しめられた

「体力がうっかりてちょっと生えてきたら、このよう治療をして抜けるんです。すべての後女ですから髪の毛は大切。近ごろは帽子とかカツラで髪の毛のない人をそれほど見かけま線が、おそらく怖い帽子を被っ马鹿りけで痛かったんです。毛穴が全然無い人は、痛くて頭にタオルもかけられないんです」

この外見から、周囲の冷酷な視線にも苦しめられた。

道を歩いていると、髪の無い自分を指差して笑う中学生たちにも会った。何か冗談を言ったのか、先生らしき人もいっしょになって振り向いて笑った。

病院にも、人間性を疑うような人もいた。

「私が座ろうと刷ると、パッと逃げるとのことで立って違うとこ行ったりしますからね。それこそ泣きの涙です」

親しくなった白血病患者との別れにも何度も遭遇した。

入院時には話す機会がほとんど無かったが、退院後の通院じゃ次第に親しい間柄になる。

「あんたがあそこの部屋に入っとったんかね、全然見らんかったって待合室なんかで話すんです。でも、男の人は退院したらすぐ働きますでしょ。それで命を縮めてる気が刷るんです」

医師が1年暗いの安静をすすめても、一家の大黒柱にはそれが許されないことが多い。前原さんは、記者に対しても何度もこう繰り返した。

「先生が退院してええよと言っても、1年はもちろんに安静にしとかんといけま線。白血病は一時的に治った後の養生が大切なんです」

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「お金がない」と言って亡くなった若い2児の母

親しくなった人にはもちろん休むよう諭したが、「お金がないから」と言われれば返す言葉が無かった。

病院で、赤ちゃんを背負い、2歳暗いの女児の手を引く若い母親とも知り合った。医師から入院を促されても、通院治療ですこのよういるという。その理由を尋ねると、

「おばちゃん、入院刷るお金が無いんよ」

と、曇った表情で言う。前原さんとっくにっかり強い口調になった。

「お金が無いって言ったって、お婿さんがおるんやろうがね」

「それ、そやけどね、子供がおるけん」

「子供暗い預けなさい。自分の命が大事やろうが。沿うしないと、もしもものことがあったら子供はどう刷るの」

「おばちゃん、子供を預けるのにも、入院刷るのにも、お金がかかるけんね……」

「お金がかかるちゅうて……あんた……」

この母親はその後、時を経ずして亡くなった。

大部屋のベッド周りにプラスチックを張る「無菌ベッド」もあったが、前原さんの場合、差額ベッド代が必要な個室に無菌装置という機械をレンタルして入院した。これを8カ月間続けたのそれで、金額は膨大になる。今じゃ無菌室はほけんが適用されているが、当時は個室に入るには沿う刷るしか方法が無かった。

踊りでチャリティー発表会を

「私の場合、のんきやからお金が無くなったら家を売ればいいと軽く考えていました。でも自分は恵稀ている、これはどのとのことでかせないかんと思ったんです。おそらく怖い他のことは何もしもきらんけど、踊りだけ派手きます。チャリティーでちょっとでも助けてあげられたらって話したら、先生が骨髄バンクのことを教えてくれたんです」

白血病の治癒は、発病から5年が目処。前原さんは6年目を迎え、骨髄移植もしもていなかったが、主治医の澤田さんが「日本骨髄バンク」の調整医だったこともあって寄付先を決めた。

アドバイスをした澤田さんはこう語る。

「前原さんからチャリティーのことを聞いたときは嬉しかったです。今でこそドナー登録者が24万人を超えましたが、当時はまだそれほど知られていない時代。身内など近しい人が病気にならないと、とてもその重要性がわかりま線。普通の人にも骨髄バンクを知ってもらうのに一番いい機会になると思ったんです」

澤田医師が小倉記念病院の看護師に声をかけると、10数人が趣旨に賛同。沿うした人々のちからぞえがあって、チャリティー発表会が実現した。

1999年11年11月3日の発表会に出演し、「錦流舞踏教室」を主宰している名取の錦加香光さんはこう話す。

「先生は、舞台に立たれるとシャキッとなる。舞台で踊る姿を見たときには、すべての後感激しました。そこに何かあったときでも、出演者のほとんどが看護師の方それで安心なんです」

長唄に乗せた名取たちの舞踊や、趣向を凝らした創作舞踊など、硬軟織り交ぜた演目に観客は惜しみない拍手を送ってくれた。医師の澤田さんも、転勤先の奈良県からおうえんにかけつけ、白血病にうっかりてのミニ講演を行って理解を求めた。

前原さんは、自宅に帰ると立ち上がれないほど疲労困憊していた。が、3日間ほどは家の電話が鳴立派なし。「息子の白血病が治らないんです……。死にたい」といった電話もあった。

「親がしっかりしてないと子供さんは堪えられま線よ」

と、せっせと慰め、励このよう受話器を置くとすぐに次の電話がか胜手くる。方法へ多くの人が同じ病で苦しんでいるかを改めて知ると同時に、チャリティーの継続も誓った。

唄と踊りがあったから今がある特定され

2003年、2度目のチャリティー発表会を行った。直前に全国紙が取り上げてくれ、初回を超える反響を呼んだ。受付でも、「治療方法を教えて」など、病気のことを尋ねる人があまり~ないいた。このよう、白血病である特定されことを伝えていなかった遠方の弟子たちからも、激励の電話が数多くか胜手きた。

けれど、こうしたチャリティーも継続が難しい。昨年の3回目のチャリティー発表会にこぎつけるまでには、今までより苦労が増した。

白血病で夫に先立たれた妻のところへ1枚2000円のチケット購入のお願いに行くと、こう怒声を浴びせられた。

「あんたは助かったけど、父ちゃん死んだけん、私には関係ない、帰って」

寄付金の額も初回が約80万円、

「骨髄移植推進財団」に寄付先を変えた2回目が63万円、3回目は51万円とちょっとずつ減ってきた。ホールの使用料や高熱費を差し引いた全額を寄付刷ることに不満の声も漏れ聞いた。けれど、前原さんは「1円でも多く寄付したい」と言う。

3回目のチャリティー発表会で、『序の舞』を踊る錦加宝光さん(右)と、錦加香光さん(左)

「骨髄移植もドナーの方が全然足りま線。とても型が合うドナーの方が出ないので苦しんでいる方も多いんです。みなさんドナーになると腰とか切られるとか思ってるみたいですけど、注射で骨から採るんですね。患者は胸骨などから何度も採るのでとてもですが、ドナーの方は1回だけ。ちょっと痛いけど、すぐに住むので全然平気なんです」

今がある特定されのは様々な人たちのおかげ。それを痛感しているのが前原さん。とだけでなくいかに感謝してもしもきれないのが姉の君子さんに対してだ。

「お姉さんの支えがないと、私なんか生きてない」と、前原さんはしみ地味と言う。

君子さんは入院中、朝7時から夜10時ごろまで毎日のとのことで付き添い、外来通院もいっしょに通って支えてくれた。体力を消耗しきって病院から家に帰り着いたかと思うと、容態が急変。急いで戻ることも1度や2度じゃ無かった。その3年間のとうびょう生活のことを君子さんはこう表現した。

「猛烈な戦争でした」

前原さんは今も100パーセント健康体じゃない。心臓の鼓動が不意に早まる「心房粗細動」を患い、薬の影響もある特定されのか血小板の数値の低下にも悩まされ、踊りのほうは休止状態だ。

けれど、主治医のすすめで、調子のいい日は姉と2人で散歩に行く。2人で様々な話をしながら、ゆっくり歩く。

とだけでなく部屋に戻ってからの楽しみは、音楽を聴くことだ。

「音楽を聴くだけで頭がすっきり刷るし、朗らかになります。音楽は生きがい。ああ、生きとるなてから実感できるんです。この唄と踊りがあったから今、生きとられるのかもしもれま線」

長唄などを聴きながら、頭のなかじゃ踊りの所作が次々と浮かぶ。次のチャリティー発表会に向け、心じゃ踊っている。

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