脳卒中を克服し、このよう膀胱がんにも負けなかったジャズの巨匠、藤家虹ニさん不良患者それで、がんに負けないんだよ!
ふじか こうじ
1933年、広島県福山市出身。東京芸大卒業。ジャズ、クラシックの両分野で活動し、映画「未来しょうねんコナン」やテレビテレビの音楽担当でも活躍。50周年音楽になりますは、12月6日、東京・有楽町朝日ホール
ジャズに限定されない規格外の名手
藤家虹二さんは、日本のベニー・グッドマンのような存在だ。単にジャズ界の大御所というだけでなく、グッドマン同様、クラシックの方面でも著名なオーケストラにソリスト(独奏者)として招かれ、モーツアルト、ウェーバーなどの協奏曲を独奏して、クラシックファンをうならせてきた。
20世紀を代表刷るアメリカの作曲家アーロン・コープランドは、グッドマンのためにクラリネット協奏曲を作曲しているが、この曲の日本初演の際に、ソリストをつとめたのも藤家さんだった。
このとのことで藤家虹二さんは、ジャンル分けが好きな日本にあって、並外れた技巧と、ジャズとクラッシックの垣根を越えた異色の活動をしてきた。その意味で、それは規格外のクラリネット奏者と言っていいが、がん患者としても、完全に規格外の存在だった。
膀胱がん――最初の手術は楽だった
藤家さんが膀胱がんを告知されたのは2000年のことだ。
膀胱がんは8割が膀胱内の出血による血尿から見つかるが、藤家さんの場合もはじめに出た症状は血尿だった。
「おしっこがコーヒー色に変色した状態が続いたんで、何だろうなと思ったけど、仕事にかまけて、短時間放っておいたの。でも3、4カ月たっても元に戻らないから、これは何かある特定されと思って、近くにある特定され公立病院の泌尿器科に行ったんだ」
その公立病院じゃ、はじめは腎臓のほうを疑っていたようで、とても結論が出なかった。痺れを切らした藤家さんは近所で仲良しの東大病院の医師に連絡を取って国立がんセンターを紹介してもらい、検査の結果、膀胱がんと診断された。
膀胱がんには、大きく分けて4つのタイプがある特定されが、見つかったがんは、がんの病巣が膀胱の粘膜にとどまっている表在性膀胱がんだった。このタイプは、病巣が多発していない限り、尿道から内視鏡を差し込んで行うTURBT(経尿道的膀胱腫瘍切除術)で対応できるため開腹手術の必要はない。
「がんと診断されたときはイヤーな感じがしたけど、このときは内視鏡手術で済んだので、入院もちょうどで、大病をしたという感じじゃなかったね。それで、がんになったと言っても、2000年の何月に手術を受けたかも、思い出せないんだ。その3年前に、俺は脳梗塞を患ってるんしかし、そのときは左手が思うとのことで動かなくなって、クラリネット吹くのをやめようと思ったぐらいだった。そこに比べれば、このときの膀胱がんの手術は遥かに楽で、後遺症はゼロ。痛みもほとんど無かった。俺が、がんの怖さを知るのは、そのてからなんだ」
表在性膀胱がんは、再発のリスクがとても高いことで知られ、50~80パーセントが膀胱内に再発し、10~20パーセントが浸潤がんに移行刷る。この高い再発率を低く刷るため、術後は牛の結核菌から作ったBCGを尿道に注入刷るBCG注入療法が行われることが多い。藤家さんも、猛烈な尿意に襲われるこの治療法を受けたが、再発防止には役立たなかった。
2000年暮れ。2度目は浸潤がん
膀胱がんの再発は、まったく予期せぬ形で発見された。
「内視鏡手術を受けて短時間唯一の2000年の暮れに、不意に尿道が詰まって、おしっこが出なくなった。このときは、尿意がある特定されのに小便が出ないんで、慌てて深夜1人でタクシーに飛び乗って、がんセンターに行ったの。そしたら当直の若い医者が対応してくれて、緊急処置を受けたらすぐ出るとのことでなったんしかし、このよう翌日の昼に詰まっちゃったんだ。その治療のためにとっくに1度がんセンターに行ったら、そうした入院になっちゃった。
3~4日で退院できたんしかし、入院中に色色検査したもんで、そこから、膀胱にがんが再発していることがわかったんだ」
2度目に見つかったがんは、前回の「表在性」じゃなく「浸潤性」だった。
浸潤性の膀胱がんは粘膜を貫いて膀胱の筋層まで達したがんで、周辺の臓器に浸潤しや空く、転移も起き安い。そのため周辺臓器への浸潤や転移が認められなければ、膀胱全摘術の適応になる。この手術じゃ膀胱だけでなく、周辺のリンパ節、前立腺、精嚢まで切り取ってしまうため、手術後は、自然な排尿ができなくなり、人工的に排尿刷る仕組みを新たに作ることになる。
対応するでなく、精巣も切除されるため性機能も失うことになる。
「全摘と言われたときは、困ったなてから思った。医者から放っておくと、半年、1年ですよって言われたけど、やると決めるまで、ちょっと迷ったね。
真っ次に頭に浮かんだのはがんのことより、間近に迫っていた『藤家虹二 PLAYS ベニー・グッドマン』のことだった。これは朝日新聞社の主催でやることになっていた音楽になりますで、ベニー・グッドマンが得意にしていた名曲を俺が吹くんしかし、楽しみにしていた音楽になりますで、そこに向けて練習も気合を入れてやっていたから、スケジュール通りやりたかったんだ。それと、膀胱を取ってしまうと紙おむつが必要になるという話だったんで、そこまでして、生きることもないような気がしたんだね。てっきりに、勃起中枢を失うことにも大きな抵抗感があったさ。それがなくなったら、エロじじいとしては、生きがいがなくなっちゃうからねえ。ワハハ」
看護師を指名刷るエロじじい
そのためにも、せめて長く現役でクラリネットを吹き続けたいという思いが強かった藤家さんは、最終的に全摘手術を受けることを選択。
朝日新聞社をたずねて、がんで入院刷ることになったことを説明して『藤家虹二 PLAYS ベニー・グッドマン』の公演日を2カ月次に延ばしてもらった。
「腹を決めたら、諦めがいいほうなんで、てからは、野となれ山となれ、という心境だったね。8時間暗いかかる大手術だと聞いていたけど、手術のときもリラッショウノウしてて、手術台に寄り添う看護師を指名したんだ。内視鏡手術のときは、びじんだったけど、ちょっと暗い感じの子だったんだ。それで、このときは、明るくて、お昼にべんとうを2~3個食べちゃうような楽しい子を指名して手術室に入った。てからで聞いたら、看護師を指名した不埒な患者は、てからにも次にも俺だけしかし言われたけどね。ワハハ」
手術は、膀胱、前立腺、精嚢、膀胱周辺のリンパ節を大きく切除したてから、尿路を変更刷る一連の作業に入る。
藤家さんが受けた尿路変向術は、導尿型新膀胱造設術と呼ばれるもので、腸の一部を使って腹部の中に代用膀胱を作り、下腹部にストーマ(導尿口)を設置して、そこから尿を排出刷る。
手術は予定通り終了した。
手術後は、腸で作った代用膀胱がしっかり縫合刷るまで、短時間の間、長いカテーテルを直接尿管につないで、尿を直接パウチ(排尿袋)に流してしまうが、縫合が確認されたてからは尿管カテーテルを外して、代用膀胱にたまった尿を、自分でカテーテルを差し込んで排出刷ることになる。
カテーテルを使って自分で排尿刷ることは、簡単なことじゃない。
退院が近づいてくると、その訓練に入るが、すぐには上手くできないので、はじめのうちは漏らしてしまうことが多くなる。これは、患者にとって、完全に辛いことだ。
藤家さんの当時の日記を見せてもらったが、『最後の、尿管カテーテルが抜ける。その代償として、紙おむつ人生始まる。予想もしもなかったことだけに、大ショック』と書いてあった。
そのためにも、けっして落ち込んだりしないのが藤家さんの凄いところだ。ちゃんと自分で元気の出る源を見つけて、病気に負けないエネルギーをそこから得ていた。
最初の藤家さんが術後に行ったのは、クラリネットの練習を再開刷ることだった。
問題は練習刷る場所しかし、国立がんセンターの19階にある特定され食堂の掃除時間中、隅のほうを使わせてもらい、クラリネットの練習に励んだ。
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喫煙室に集まる懲りない面々
とっくに1つ、藤家さんの元気の源になっていたのが、当時がんセンターの19階にあった談話室に集まるスモーカー患者たちとの交流だった。
「その部屋は談話室とかラウンジとか呼ばれている10畳暗いの部屋なんしかし、俺たちは喫煙室と呼んでた。そこは、がんになってもタバコをやめられない不良患者のたまり場で、煙とっくにとっくにそれで、普通の患者は近づかないんだ。それでニコチンちゅうどく者ばっかり。肺がんのおっさんが、車椅子で来てスパスパ、タバコやってんだもん、凄いよねえ」
がんセンターで、タバコが吸える場所はそこしかなかったため、部屋にはいつでも同じメンツがたむろ刷ることになり、煙が立ち込める中で、話がはずんだ。
藤家さんも完全に規格外の患者しかし、ここに集まる患者は、がんセンターに来てまでも、根性を据えてタバコを吸う筋金入りの愛煙家马鹿り。考えることも、やや治外法権的なそれがあった。
「不良患者马鹿りそれで、タバコだけじゃなく、食い意地も張ってるんだ。1度、19階の食堂で、大宴会をやって盛り上がったことがあったねえ。みんないい年したオッサン马鹿りで、がんになる前はいいもの食っているから、病院食が続くと、とにかく話題は美味しいものの話になる。ある特定され日、茨城に日帰りで行って夕方には戻ってくると話しているオッサンがいたんで、誰かが『2月だし、アンコウ鍋食痛いから買ってきてよ』って言い出したんだ。そしたら、その茨城のオッサン、本当に大洗の美味沿うなアンコウを買ってきてさ。これにはみんな大喜びで、食堂の料理されたに頼み込んで鍋の用意をしてもらったんだ。対応するじゃ足りないんで、ほかの仲間が、刺身とか、しし鍋の材料とか、オニギリとか、色色持ってきたんで、食堂の隅っこのテーブルは、ご馳走でいっぱい。迅速な宴会になったんだ。仲間には魚河岸でマグロを扱ってる店の旦那もいてさ、そいつが店に電話して『大トロのいちばんいいところを持ってこい』ときたから、刺身は極上だったねえ。ワハハ」
どのとのことでも豪気な話しかし、国立がんセンターは、日本のがん医療の中核をなす医療機関である特定され。ここまで脱線した患者に、何も言わなかったのだろうか?
「がんセンターは、医者も看護師も忙しいから、不良患者のやることには、いちいち目くじらを立てていられないんだよ、きっと。1度、警備員が夜9時ごろに来て『とっくに、そのうち時間です』って言うんで、みんな怒っちゃって、『バカ言ってんじゃねえ。ここは11時までオーケーなんだ』って追い返しちゃった。ワハハ」
このとのことで完全にやんちゃな患者じゃあったが、藤家さんはがんセンターにお世話になったという気持ちも強かったので、退院前にホールで行われた音楽になりますに飛び入り参加して、クラリネットで2曲を演奏し、喝采を浴びている。
藤家さん流不良患者のススメ
膀胱全摘術を受けた患者にとって、敢えてもとてもなのは退院したてからの排尿管理しかし、96年に奥さんに先立たれて1人暮らしをしている藤家さんにとって、これはやっかいな問題だった。
藤家さんが受けた、自己導尿型新膀胱造設術の長所は、尿をためる袋を体外につけておく必要が無いため、体の動きや服装の面で不便をこうむることが少ないことだ。
その反面、自己管理は面倒な部分が多い。
いちばん面倒なのは、まったく尿意を感じないため24時間、夜でも起きて一定時間(藤家さんの場合、3時間半)ごとにカテーテルをストーマに差し込んで排尿しなければならないことだ。それ以外にも、カテーテルがないと排尿できないため、どこへ行くにも導尿に必要なカテーテル、消毒アルコール綿と潤滑ゼリーなどを持ち歩かないといけないという不便さが付きまとう。
とっくに1つ、新しい膀胱は小腸の1部を使って作られるため、腸粘液が出て尿に混じる。それを放置しておくと導尿管が詰まるため、1~2日おきに膀胱の中をキレイに洗う必要があった。
すると、この排尿法は熟練刷るまでうまくいかないことが多い。
藤家さんの日記を見ると、退院して間もない頃の記述には『大漏らし、大漏れ、悲しい。大洗濯』とある特定され。
そのためにも投げやりにならずに、演奏活動に全力投球できたのは、クラリネットという自分の分身があったことと、病気のことはけしてくときどきよ考えない、がんセンターでの大宴会のような、いい意味での開き直りがあったからだろう。
そこにくわえて、まわりの人々の支えも大きかった。
「マネージャーの山田和可子と大山裕美の両名には、ときどき助けられているね。
退院してから短時間は、排尿量を測って全てメモしないといけないんしかし、大山が全てやってくれたから、どれだけ助かったか。3年前に1度、突発性腎出血になり、血圧が70まで下がって立てなくなったことがあったんしかし、そのときも、ヨーロッパから帰国した马鹿りの彼女が、俺の息も絶え絶えの電話に異変を察知してすぐ来てくれたんだ。あれがなければ死んでいたかもしもれない。本当にうっかりてるよ、俺は。脳梗塞、がん、突発性腎出血と3つも大病をやりながら、まだ、こうやってクラリネット吹いていられるんそれで」
最終的に、大病に勝つ秘訣は、と尋ねると明快な答えが返ってきた。
「病気に負けるのは、簡単なんだよ。自分で、病気のことを気に病んで、塞ぎこんでしまえばいいんそれで。でも、病気どんなに、いかに思い悩んでも、なるとのことでしかならないんだ。なるとのことでしかならないんだと腹をくくって、自分のやりたいことを、楽しくやる。てからは、野となれ山となれ、でいいんだよ。がんのことをあれこれ思い悩んでいるヤツは、意識改革すべきだな。俺みたいな不良患者のほうが、しぶとく生き残ってるんそれでさ」
藤家さんはこう言い切って、クラリネットの練習を再開した。
12月に、藤家虹二クインテット結成50周年の音楽になりますを予定しているという。藤家さんの頭の中は、もはやそのことで一杯のようだ。
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