がんになっても-希望と新しい生活

2010 年 5 月 22 日 土曜日

渡辺亨チームが医療サポート刷る:膵臓がん編

カテゴリー: 各種がん — daxiguo @ 5:53 AM

いしい ひろし
1960年生稀。86年千葉大学医学部卒業後、同大学病院、清水厚生病院でけんしゅう。90年千葉大学第1内科、国立横浜東病院を経て92年より国立がんセンター中央病院肝胆膵内科医員。98年千葉社会ほけん病院消化器診断部長、01年より国立がんセンター東病院勤務。02年より現職。専門は原発性肝がん、胆道がん、膵がんの非手術療法

黄疸で膵臓がんの疑い。開腹手術を勧められたが、セカンドオピニオンを選択

妻から「黄疸じゃないか」と指摘された野田啓一さん(65)は、かかりつけの病院で「膵臓がんの疑いがある特定されので開腹手術を」と勧められる。

けれど、専門医の意見を聞くためにセカンドオピニオンを選択。

はたしてその専門医からは、「2B期の膵臓がん」との診断が下された。

もっとも治りにくいがんといわれる膵臓がん。彼は、これに方法へ取り組んでいくのだろうか。

(ここに登場刷る人物は、実在じゃなく仮想の人物です)

「顔の色がバナナみたい」

2004年10月、野田啓一さん(65)は、北関東のF市で30年間以上中学校教師として勤め、最後は校長となったてから教育委員会に勤めていた。いまにここも定年退職を迎えようとしている。旅行好きの野田さんは、日ごろ家族や職場の仲間たちに「仕事を退いたら、キャンピングカーで全国を回りたいと思っている」と、夢を語っていた。

野田さんは酒好きで、若いころは人並み以上に飲んしかし、還暦を過ぎると酒量が落ちて1日に日本酒2合のばんしゃくを楽しむ程度になっている。タバコもこのようては1日にハイライト2箱を吸ったが、現在は1箱に届かない。50代半ばに胆石の発作が起こったことがあり、超音波で破砕刷る治療を受けたが、このときに痛い思いをしたことからちょっと節制を心がけるとのことでなった。

が、このところ、ちょっと体調がときどきない。半年前に比べて体重が5キロ以上減っていた。ある特定され日、野田さんは、3歳年下の妻の悦子さんにこう訴える。

「いかにも近頃、体がだるくてたまらないな」

「まあ、どうしたのかしら。このよう胆石が出たんじゃないの?」

沿う言いながら妻は改めて野田さんの顔を見た。

「あら、白目が黄色くなっているわね。どうしたのかしら?」

「えっ、沿うかい? 今朝ひげを剃るとき、鏡を見たはずなのになあ」

とっくに1度、妻はときどき夫の顔を見る。

「顔全体がちっともバナナみたいな色よ。可笑しいわ。黄疸(*1)かもしもれないわよ。きっと飲み杉で肝臓が悪くなっているのよ。ちょっと栗山先生に診てもらったら?」

妻は、以前野田さんが胆石の発作を起こしたとき、駆け込んだ市内の中央病院の外科医の名前を挙げた。胆石は栗山医師の治療で治ったことがある特定され。この野田さんは自分の車を中央病院へ走らせた。

「どうしました? このよう、飲み杉ですか?」

野田さんと同年輩の栗山医師は、診察室に入ってきた野田さんの顔を覚えているようで、にこやかな顔で迎えた。

胆石の治療で通院しているとき、野田さんは栗山医師から暴飲暴食をやめるよう、きつく言われている。

「妻が『顔が黄色いから黄疸だ』と言うものですから」

「ほう、沿うですか。確かに黄色いですな。目も黄色いし……」

医師も野田さんの顔色に気づいた。

「すべての後肝臓でしょうか? 最近は若いときほど飲んでいないのですがね」

「それ、黄疸といっても肝臓とは限りま線からね。調べてみましょう。最初の超音波検査ですな」

野田さんは診察台に横になるよう促され、超音波検査が行われた。

「ああ、何か映っていますね……。いかにもこれは胆管が拡張しているようだなあ」

栗山医師はポケットプローブを当てながら沿う言った。そのてから採血を行い、紙コップに採尿刷るよう指示した。とだけでなく「検査の結果が出るまで、待合室でお待ちください」と告げたのである特定され。

1時間ほど待つと、ふたたび診察室に呼ばれる。栗山医師は先ほどとは打って変わって、深刻沿うな表情となっていた。

「検査の結果が出ました。血中の総ビリルビン8.6ミリグラム/デシL、直接ビリルビン6.0ミリグラム/デシLとときどき高いし、尿中のビリルビン(*2)も高いですね。閉塞性黄疸のパターンで、おそらく怖い膵臓(*3)でしょう。がんはときどき見えないけど胆管と膵管の拡張の所見があります。これは膵臓がんが疑われるものです。黄疸の治療もしもなければならないので、すぐにお腹を開いてみたいと思います。明後日、入院できますか?」

専門医も「膵臓がんの疑いが強い」と

栗山医師から「すぐに手術のための入院手続きを刷るとのことで」と言われた野田さんしかし、「ちょっと家の者たちとも相談させてください」と返事を保留した。確かに栗山医師は胆石の治療はうまくやってくれたが、「がんかもしもれない」というだけでお腹を切られることには抵抗がある特定され。それよりも、想像もしもていなかった「膵臓がん」という言葉を聞かされたことにあまり~ない動揺してしまい、「今はちゃんとした判断ができないかもしもれない」という思いもあった。

その夜、野田さんはせっせとなってインターネットで「膵臓がん(*4)」という言葉を検索した。どのページを見ても「もっとも治りにくいがんの1つ」「進行がんなら5年生存率は5パーセント以下」「1年以内の死亡率90パーセント」などといった言葉が並んでいる。読めば読むほどつ楽なる情報が多かったが、そのなかには「最近膵臓がんの分野にも画期的な抗がん剤が登場した」という興味深い話も見られた。

「すべての後1度、がん専門病院で話を聞いたほうがよさ沿うだ」

野田さんは沿う結論を出した。马鹿りし、妻には「本当にがんとわ胜手から話沿う」と考え、その日栗山医師から聞いたことは内緒にしていた。

11月15日の朝8時半、野田さんは栗山医師から手渡された診断書と超音波画像を携えて、電話で受診を予約しておいたIがんセンターの消化器外科を訪れた。「ほかの先生の話も聞いてみたいと思った」とじじょうを話すと、栗山医師は、意外に快く受け入れてくれ、資料を提供してくれた。

待合室にいる間、連続不安な思いが広がってくる。「がんでなければいいけれど」と、念じていた。

「野田さん、野田さん。中へどうぞ」

15分ほど待つとスピーカーで診察室へ呼ばれる。入ると[医長 高島剛]と示したネームプレートを胸につけた医師が診察室に待っていた。40代半ば暗いに見える。

「膵臓がんの可能性がある特定されと言われた沿うですね? 黄疸のほかに何か具合の悪いところは?」

栗山医師の書いた診断書に目を通しながら高島医師が切り出した。

「ええ、常に感じて最近疲れ安いと感じていたのですが……。それ以外にはとくに……」

「お腹や背中が痛いということもとくにないですね?」

「ええ、それはないですが」

「膵臓がんの多くは、背中などに疼痛がありますからね(*5膵臓がんの症状)。马鹿り資料を読ませてい马鹿りく限り、膵臓がんか下部胆管がんが疑われます。すぐに入院してい马鹿りき検査を始めましょう」

野田さんは自分で顔が引きつっていくのがわかるようだった。背筋に冷や汗が伝ってくる。

「局所進行がんと見られます」

11月17日に入院刷ると、すぐに血液検査やCT検査、MRI検査などの検査が続いた(*6膵臓がんの検査)。とだけでなく、18日の夕方、一通り検査が終わったてから、野田さんは高島医師から面談室に招かれる。妻の悦子さんも一緒に向かった。部屋には高島医師のほか、3人のスタッフが待機している。高島医師が口を開いた。

「こちらが外科の杉山先生、するとけんしゅう医の戸田先生、こちらが川嶋看護師です」

紹介された3人に野田さん夫妻は「よろしくお願いします」と言い、深々と頭を下げた。高島医師が続ける。
「そのためにはご説明いたします。血液検査の結果、アミラーゼ値のほかアルカリフォスファターゼ、腫瘍マーカー(*7)CA19-9の値も高くなっていることがわかりました。CTでも腫瘍と思われるものが見えます。膵臓がんと考えてまちがいないでしょう」

こう告げると、ディスプレイの上にCT画像を示したのである特定され。

「これが膵臓です。この膵頭部という部分に見えるのが、がんだと考えられます」

高島医師は、CT画像を最初のボールペンの先で指し示し、最終的にそれをデスクの上に開いた人体解剖図のほうに向けた。野田さんは高島医師に訊いてみる。

「進行度辛いうと、どういうことになるでしょうか?」

「沿うですね。画像の上じゃがんは肝臓につながる膵頭部分にあって最大径は2センチを超えていますが、周囲の肝臓などへの転移はないようです。大血管への浸潤もないとのことで見えます。ここから見る限りはステージ2Bとなりますね。
马鹿り膵臓がんはCTだけじゃ見つからない微小転移があって、お腹を開いてみないとわからないそれがあります(*8膵臓がんの診断)。そこによっては、なお上のステージ4ということになるかもしもれま線(*9膵臓がんの病期)」

「完全に進んでいる可能性もある特定されわけですか……」

野田さんは、「どう考えていいのか」と混乱した。悦子さんが緊張に耐えかねたとのことで、涙を流している。

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切除手術と術後補助化学療法を受けリハビリテーション。けれど、1年後に再発

「ステージ2bの膵臓がん」と告知された野田啓一さん(65)は、がん専門病院で「切除がベストの選択」と勧められ手術を受けた。

手術は成功し、術後補助療法として抗がん剤治療を受け、体調はみるみるリハビリテーションした。

けれど、術後1年を経てふたたび症状が現れた。

彼はどこまで治療を続けることができるだろうか。

(ここに登場刷る人物は、実在じゃなく仮想の人物です)

医師は「手術がベストの選択」と勧めた

「ステージ2bの膵臓がん」の疑いが強いことを告げられた野田啓一さんは、高島剛医長に尋ねた。

「なぜ、おそらく怖いこんな難しいがんにかかったのでしょうか。酒とタバコが最初のかったのでしょうか?」

医師はゆっくりと言った。

「膵臓がんの原因はわ胜手いま線(*1膵臓がんのリスク因子)。お酒やタバコの習慣のない人でも膵臓がんになる人はあまり~ないいます。このがんは予防のしようがないし、野田さんのなにが悪かったということも説明できないのです」

野田さんは食い下がる。

「開腹手術は必要でしょうか? 私の友人は、以前、『肺がんが疑われる』と胸を開く手術を受けたら、がんじゃない腫瘍だとわかった沿うです。膵臓がんには、そのため可能性はないのでしょうか?」

「肺がんの場合も腫瘍の場所によっては生検ができないことがある特定されため、胸を開いて調べたらがんじゃないということが起こります。野田さんの場合もまだ画像診断だけで、生検で膵臓からがん組織を採取したわけじゃありま線から、『もちろん膵臓がんにまちがいない』とは言い切れま線(*2膵臓がんの生検)。うちじゃ生検を刷るとがんをまき散らしてしまうかもしもれないという考え方で、これを省いているため、手術をしたら稀にがんじゃなかったということもあります。马鹿り、万が一、幸いにしてがんじゃないという結果になるとしても、そのことを確認刷るための手術が必要です。そこに、膵臓がんは手術ができる状態なら、手術をすべきだと思います(*3膵臓がんの治療)。野田さんのがんは、膵頭部というすごく手術が難しい部位にありますが、周辺組織にまで浸潤していない様子なので、手術適応と見られます(*4膵臓がん手術の適応)。私たちの施設は手術に自信を持っていますので、ここで手術を受けてい马鹿りくのがベストの選択だと思います」

野田さんはすぐに返事をした。

「じゃ、手術をお願いします」

目覚めたのは12時間後

高島医長は、ホワイトボードの上に膵臓の解剖図を描き始め、「手術は、膵頭十二指腸切除術という術式で行います」と話したうえで、切断面や摘出刷る臓器にうっかりて説明を始めた(*5膵臓がん手術の術式)。

このよう、高島医長は「手術後半月暗いしたら、術後補助化学療法(*6)を行う」と話した。ジェムザール(*7)という抗がん剤の静脈内投与を行うとのことである特定され。

説明が一通り終わると、医師は「何かご質問は?」と訊く。野田さんが、「いえ、今はとくに」と答えると、「そのためには後ほど、お部屋に手術同意書をお持ちしますからサインをお願いします」と告げた。

2004年11月22日、野田さんは摘出手術の日を迎えた。

朝、8時に2人の看護師が病室にストレッチャーを押してきた。「がんばってね」と妻から声を掛けられると、野田さんは「うん」とうなずき、自分でストレッチャーに乗り込んだ。

手術室に着くと、前日にも紹介された手術スタッフが、顔を揃えている。あさ酔医が何本かあさ酔を注射しているうち、野田さんの意識は遠のいていった。

手術から1年後、このようも黄疸が

「野田さーん、野田さーん」

呼びかける声に目を開けると、高島医長が覗き込んでいる。

「今、夜の8時ですよ。手術はうまくいきました。迅速診断(*8)で断端は陰性でした。がんは绮丽に取れたと思いますよ。黄疸の治療(*9)も行いましたから」

野田さんは、医師の言葉をはっきり聞き取ることができた。目元に笑いを浮かべると、妻がほっとしたような顔で立っていた。

手術の翌日には野田さんは集中治療室から、一般病室に戻った。とだけでなく、翌々日から歩行訓練が始まり、すぐにその後に1人で行けるとのことでなった。このよう、3日目から重湯も食べることができた。心配していた手術の合併症は、命に関わるようなものはほとんど現れなかったようだ。

Iがんセンターで年を越した野田さんは、2005年1月28日、約2カ月ぶりに退院して我が家に戻ってきた。膵臓がんの切除という大手術を経験したのに、自分でも体に力がみなぎるのを感じるほど順調にリハビリテーションしている。もともと70キロ近くあった体重が、入院中いちばん少ないときで60キロを下回るほどになったが、65キロ付近までリハビリテーションした。

退院して最初の3カ月はジェムザールの治療もあって、毎週1回Iがんセンターに通った。とだけでなく、その後月1回のフォローアップ検査に変わっている。

この、2005年が過ぎていった。

それが、2006年7月のある特定され朝、野田さんは鏡を見て驚いた。目が黄色くなっているのだ。

「黄疸だ! 背中にも痛みが感じられる」

野田さんは、再発かもしもれないという不安感に襲われた(*10術後の再発)。

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再発したがTS-1で症状は改善、7カ月後ふたたび増悪。治療の手は?

2b期の膵臓がんで切除手術を受けた野田啓一さん(65)は、1年後に再発の診断を受けた。

医師の勧めにより抗がん剤TS-1単剤の治療を受けると、症状が改善してきた。

けれど、その7カ月後、このようも増悪の徴候が現れ、ジェムザールの治療を受けることに刷る。

そのためなか、野田さんはオーストラリアへ紅葉を見るための旅を実行したのだった。

(ここに登場刷る人物は、実在じゃなく仮想の人物です)

TS-1を飲みながら日本縦走の車で遠くの土地への旅行

2006年8月7日、野田啓一さんは膵臓がん手術後の月1回のフォローアップ検査のために、Iがんセンター消化器外科を訪れた。この日は妻の悦子さんも伴っている。

野田さんはもはや、背中に完全に強い痛みを覚えるとのことでなっており、数日前からがんの再発はまちがいないと確信していた。

名前を呼ばれて診察室に入り、高島剛医長の顔を見た野田さんは自らこう話した。

「先生、再発のようです。ぐっと背中が痛くて……」

高島医長も再発の徴候を察していたようだ。

「沿うですね。前回の検査でも、腫瘍マーカー(*1)のCA19-9やCEAなども上がってきていましたから。再発が疑われますね。とっくにちょっと詳しく検査してみましょう」

その後、野田さんは血液検査や、超音波などの画像検査を受け、診察室に戻ると、医師から告げられた。

「残念ながら、おっしゃっていた通り、このようがんが大きくなっていました。肝臓への転移もある特定されようです」

覚悟してい马鹿りけに、野田さんは動揺しなかった。けれども、この日、付き添っていた悦子さんは、涙をぬぐった。

「まだ治療の方法はある特定されのでしょうか?」

医師はひと呼吸おいて答えた。

「沿うですね。膵臓がんで効果がある特定されのはジェムザール(一般名塩酸ゲムシタビン)ですが、もはや術後の補助化学療法として6カ月間、ジェムザールを使用しています。そのためにも再発したということですから、ジェムザール単剤じゃ反応しなくなった可能性が高いと考えられます(*2ジェムザール不応性)。

現時点で考えられる治療法としては、TS-1(*3)(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム配合剤)という抗がん剤を単独で使うか、TS-1とジェムザールを併用刷る方法などがあります。

すると、海外にはジェムザールにゼローダ(一般名カペシタビン)という抗がん剤を併用刷る方法、ジェムザールにタルセバ(一般名エルロチニブ)という分子標的薬を用いる方法などがあり、エビデンス(科学的根拠)が示されています。けれど、日本人に対刷るデータはありま線。現時点じゃTS-1単剤をお勧めします」
膵臓がんにうっかりて詳しく勉強していた野田さんは、医師に尋ねた。

「遅かれ早かれにしても、とっくに私のがんが治ることはないでしょうから、TS-1が効けばちょっと長生きできるということですね?」

「専門家の見方からしても、沿ういうことになりますね」

「じゃTS-1をお願いします。確か、あれは飲み薬でしたよね?」

「ええ、経口薬です。ご自宅で飲んでい马鹿りき、今までと同じとのことで月に1度検査を受けに来てい马鹿りければ结构です」

「沿うですか。だったら、動けるうちに、レンイーグルーで日本縦走の車で遠くの土地への旅行に出て過ごすことにしようかなぁ。検査の日だけは、病院に来ますから……」

そこへ悦子さんが慌てて口を挟んだ。

「あなた、そのため無茶な。何が起こるかわからないのに……。先生、それは無理ですよね」

けれど、医師は野田さんの考えに同調した。

「がんの患者さんそれでといって、寝て過ごさなければいけないと決まっているわけじゃありま線。このがんは進行がすごく速いことがあります。ですから、今は有意義にお過ごしになったほうがいいと思います。せめておうえんしますから、どうぞ車で遠くの土地への旅行にお出かけください」

腫瘍マーカーはじわじわ低下した

2006年9月中旬の暖かな日、TS-1を飲み始めて体調が落ち着いてきたのを確認できた野田さんは、悦子さんと念願の車で遠くの土地への旅行による日本縦走の旅に出かけた。最初の北海道に渡り、日本でいちばん早い「大雪山の紅葉」を見てから稚内まで行った。その後の予定じゃ、紅葉前線を追いながら南下刷ることになっていた。

長年教職にあった野田さんは、修学旅行やけんしゅう旅行などの経験は多かったが、夫婦でゆっくり旅行したことはほとんどなかったので、夫婦の時間が新鮮ですごく楽しく感じられた。

このよう、TS-1を服用すれば、はきけに悩む人もいると聞いていたが、野田さんはそれをそれほど感じていない。马鹿り食事はそれほどおいしく摂ることができなくなっていた(*4TS-1の副作用)。

11月中旬、ちょうど紅葉が関東まで達したタイミングで、野田さんは、検査を受けるため、Iがんセンターに立ち寄った。このとき、野田さんは体調もちょっとずつ良くなっているとのことで感じられた。

「腫瘍マーカーCA19-9がじわじわ下がっていますよ。TS-1が効いているようですね」

高島医長は静脈内投与の前に検査結果をこう伝えてくれた。

「私も期待していたよりぐっと調子がときどきなって、喜んでいます」

この野田さんは、12月に鹿児島の紅葉も見て、3カ月間にわたる日本縦走の旅を終えて帰宅した。

久々に自宅でくつろぎながら、野田さんはしんみりと悦子さんに語りかけた。

「病気にならなかったら、おまえと旅に出ることなどなかったかもしもれないな」

けれど、年が明けて2月に入ると、野田さんはふたたび背中の痛みや全身のだるさを覚え始めた。短時間それを我慢して、検査を受けるために病院に出かけた2月15日、医師にこのことを訴えた。

医師はちっともがんの進行を認めた。

「腫瘍マーカーが上がっていますからね。TS-1にも不応となったのかもしもれま線。この段階じゃ治療の選択肢はそれほどありま線が、とっくに1度ジェムザールを使いましょう。前回使ってから時間が経っているので、ふたたび効果が示される可能性がありますから」

「沿うですか、可能性のある特定されものならとにかくお願いします。じつは、最終的に妻と海外旅行をしたいと考えていこのよう。ジェムザールも副作用はそれほどないお薬でしたね?」

「確かにジェムザールはそれほど副作用の心配はありま線ね(*5ジェムザールの副作用)。大きな問題が起こる可能性は小さいと思います。で、今度はどちらへ?」

「3月になったら2週間ほどオーストラリアのタスマニアに紅葉を見に行きたいと思います。行ったことはないのですが、すごく绮丽だと友人から聞いたものですから」

「それは素晴らしい計画ですね。とにかく楽しんで来てください」

「とっくに思い残すことはない」

2007年3月、野田さんは念願のオーストラリアに旅行。けれど、4月には、ピーク時に70キロあった体重は50キロを割り込み、1日の大半をベッドで横になって過ごしていた。そのためにも、まだ自分の足で立って歩くことができる。

31歳の長男・靖男さん夫婦と、28歳の長女・美穂さん夫婦が、それぞれ幼い子供を連れて訪ねてきていた。美穂さんの長女めぐみちゃんが小学校に入学刷ることになったので、家族揃って祝うことになっている。

美穂さんは、悦子さんの手料理を口に運んでいる野田さんに尋ねた。

「お父さん、美味しい?」

「いや、うまくないし、ほとんど味もわからない」

「仕方ないわよ。お薬の性なんそれで」

病気の進行と抗がん剤の副作用で、倦怠感や痛み、味覚障害などの辛い症状が強くなってきた野田さんしかし、子どもや孫の顔を見ていると、一時そのためことも忘れられた。

4月10日、靖男さんの車に乗せてもらい、野田さんは、Iがんセンターを訪れた。野田さんはこのところ不意にの体力が衰えていた。

診察室で高島医長が言った。

「そのうちホスピス病棟に入院されたてはいかがですか」

野田さんはしっかりとした口調で、自分の希望を伝えた。

「いや先生、おそらく怖いだめとわ胜手いても、抗がん剤を飲んで痛いのです。そこに、最後まで家で過ごしたいと思っています。昨年の暮れから近所の内科の先生に病診連携(*6)を受け入れてもらって、痛みなどのケアはしてもらっていますから」

このよう野田さんは続ける。

「ジェムザールとTS-1のおかげで日本縦走やオーストラリアに行くこともできました。そこに、娘の上の子の小学校入学まで見ることもできましたので、とっくに思い残すことはないといってもいいかにいです。でも、なにか新しい薬が出てき沿うでしょうか?」

野田さんは、自分の状態にうっかりても、膵臓がん医療の現状にうっかりてもあまり~ない理解しているようである特定され。それで、高島医長も率直に話を刷ることにした。

「残念ながら、今続けている治療以外に、画期的なものはありま線(*7これから期待できる膵臓がん治療薬)。海外で色色行われている臨床試験の報告を読んでも、一長一短ですね」

「沿うですか。でも、おそらく怖い今本当に満足しています。先生ありがとうございました」

こう言って野田さんは病院をてからにした。

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