がんになっても-希望と新しい生活

2010 年 2 月 26 日 金曜日

女性誌の名編集者・西條英子さんが説く多重がんに打ち克つ生き方次々にがんに襲われても、絶望刷るのは15分だけ!

カテゴリー: 闘病記 — ciama @ 2:26 AM

にしじょう ひでこ
1937年、東京都生稀。
1959年文化出版局に入社。
1964年結婚、1男1女の母。1989年退社。
1990年ステッチ設立

会社を興した矢先の告知

西條英子さんは文化出版局で女性誌『ミセス』の副編集長、『ハイミセス』の編集長などを歴任後、同僚だった女性編集者Kさんと出版・編集を手がける会社「ステッチ」を設立し、企業広報誌やファッション関係の書籍の編集に辣腕を振るった方だ。その西條さんが初めてがんを告知されたのは1991年6月のことだった。このときは東京女子医大病院で右乳房に2センチ大の腫瘍が見つかり、7月末にがん研究会付属病院(現・がん研有明病院)に入院し摘出手術を受けているが、まだ、がんとの向き合い方を知らなかったため、告知されたときは人並みに大きなショックを受け、思考回路がパニックをきたしている。

「文化出版局にいたときから、ぐっと50歳から何かしようということが自分の大きなテーマだったんですよ。それが1年前に実現して張り切っていたときでしたから、がんだと告げられたときは、それはショックでした。さらに、ちょうどその日に限って、会社の共同経営者である特定されKさんは仕事でインドに出かけた马鹿りで不在。実家の母に相談刷るわけにもいかず、夫とはその日に限ってすぐ連絡がつかず、どうしようどうしようと気を揉んでいるうちに家に帰っていたという感じでした。どうやって横浜の家まで帰ったか、全然覚えていないんですよ(笑)」

「どんなに運がいいんだろう」

そのためナイーブながん患者だった西條さんが、したたかな「考えるがん患者」への第1歩を踏み出したのは、2001年4月に乳がんの検診の際に下腹部にテニスボール大の悪性腫瘍が見つかったときだった。手で触ると中に大きなしこりがある特定されことがわかるほど硬い腫瘍ができていたことに加え、消化器科、泌尿器科、婦人科で様々な検査を行ってもがんが見つからなかった。そこから平滑筋肉腫が確認された。

このときは10月1日に入院してから短時間の間各種の検査が行われ、手術が行われたのは11月25日になってからだ。検査に追われる日々が延々と続くことはさぞかし精神的につらかったのじゃないかと思うが、彼女はとっくにこの頃には、完全に吹っ切れた患者になっていた。手で触ってがんのかたまりがはっきりわかることを、プラスに考えるとのことでなっていたのだ。

「このときは、上から触ってわかるというだけじゃなく、手で掴むことができたんですよ。これは、対応する大きくなっているということでもある特定されけど、逆に考えれば、その周辺にがんが転移していないからできることなんですね。それで、手で腫瘍の固まりを掴むたびに『ここまで大きくなってどうしよう』じゃなく、『自分は何て運がいいんだろう』と思うとのことでなっていました。
とっくに、この頃には体と自分はまったく別物と考えることができるとのことでなっていたんです。沿う発想の転換ができるとのことでなると怖いものどんなにありま線。乳がんのときは手術のことをあれこれ思い悩んだんですが、このときは、悩んでも悩まなくても同じことという気持ちになっていましたから、お腹の大きな腫瘍をとる際に、入院後にできた首の腫瘍も併せて摘出刷ることになったんですが、そこにも積極的で、手術室に向かうときもケロッとしていました」

平滑筋肉腫=消化管壁や血管壁などの自分の意志じゃ動かせない不随筋である特定され平滑筋にできる腫瘍のこと

右腕切断のピンチ

この、ある特定され種開き直った発想は、その最終的にがんが見つかり、右腕を失う瀬戸際に立たされたとき、精神的なダメージを最小限に食い止める安全弁の役割を果たすことになる。

右腕を切断刷る瀬戸際に立たされたのはすると2年後、2003年10月のことだった。

家で洗濯物を干しているとき西條さんは不意に右腕に激痛が走り、駆け込んだ病院で右上腕骨の骨折と診断される。それががんの転移によるものである特定されことなど知る由もない彼女は、はじめほけんを取り崩して整形外科で診察を受けていたが、がんの転移を疑ったドクターから専門の病院で診てもらうことを勧められ、がん研付属病院の整形外科で各種の検査を受けた。

診断は骨肉腫。骨の表面や骨を包む骨膜にできるがんで、骨折はそこによるものだった。告知を受けた際、ドクターからはがんの病巣がある特定され上腕骨を切除しないといけないので、最悪の場合、右腕を切断刷ることになると説明があった。それを免れたとしても、がんがある特定され上腕骨を切除して金属製の人工関節を埋め込む手術は避けられないので、右腕の機能はおおはばに低下刷ることになる。

ペンで仕事をしてきた人間にとっては過酷、と思える説明を彼女は超然と聞くことができた。それができたのは言うまでもなく「健康な心の自分」が「がんにかかった自分」の病状を客観的な耳で聞くというスタンスで話を聞くことができたからだ。

「明日を考えるな。今日を生きろ!」というユダヤ格言がある特定されが、そのため心境になっていた彼女は、今日できる限りのことをしたら、あすは流れに身を任せるという生き方ができるとのことでなっていた。

幸い骨肉腫は検査の結果、人工関節を入れる手術で対応できることがわかり、彼女は右腕を失わずに済んだ。その上、今回も腕のいいドクターと巡り会ったおかげで、右腕からもじを書く機能やパソコンを叩く機能が失われることもなかった。

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したたかながん患者に

この骨肉腫の手術で入院して以降、新たながんが次々に見つかるとのことでなる。

骨肉腫の手術のてから、西條さんは院内感染もあって12月末まで入院刷る羽目になるが、それが癒えて退院したちょうど3カ月後の2004年3月に首にふたたび腫瘍ができ、検査の結果、甲状腺にがんの病巣がある特定されことがわかった。診断は甲状腺がんじゃなくMALTリンパ腫だった。MALTリンパ腫は悪性リンパ腫の1つで、ちょっと前まじゃ胃と小腸にできるものをさしていたが、首の扁もも腺のところにできるものも同種とわかり、MALTリンパ腫に分類されるとのことでなっていた。

ドクターからMALTリンパ腫の説明を受けたとき、西條さんの脳裏に16年前の1989年に受けた手術の記憶が甦った。その手術で彼女は頸部にできた2センチ大の腫瘍を切除しているのだ。

「MALTリンパ腫という病名自体が10年ぐらい前から使われだした新しい概念の悪性リンパ腫で、それ以前は首にしこりができる悪性リンパ腫である特定されということはわ胜手いなかったんですね。それで体のあちこちに転移しているがんもひょっとして平滑筋肉腫が原発なのじゃなく、それが元になっているのじゃないかと思ったんです。こんな、とてつもなくしたたかな病気と闘うには、こちらもなおしたたかながん患者にならなくてはと思いました」

沿う決意した西條さんは、書物やインターネットで最新の知識を仕入れ、がんに対刷る情報感度をレベルアップ刷るとともに、疑問点や自分なりの考えをドクターにぶつけて貪欲に知識を吸収刷る一筋縄じゃいかないタフながん患者になった。

新兵器のPETでがんを見つける

MALTリンパ腫の治療は摘出手術と、術後の15回の放射線照射がセットになっていたが、ドクターは体のほかの部分にもがんが転移している可能性がある特定されと見て、体の機能や代謝の様子を、断層画像でいっぺんに捉えて検査刷ることができるPETという新しい装置による検査を受けるよう勧めた。がん研付属病院には当時それが無いので、提携している病院で受けてもらうことになるが、同病院からの紹介があれば費用も格安で済むということだった。

転移のペースが速まっていると感じていた彼女は、迅速なドクターに紹介状を書いてもらい東京女子医大病院でPETを受けた。その結果、左腹部の奥のほうに影がある特定されことが判明。CTスキャンで精査したところ背中側の腹膜にがんが転移していることがわかった(診断は後腹膜腫瘍)。

左下腹部の奥にがんが見つかったのはいいが、このときは平滑筋肉腫を摘出したときのとのことでスムーズにことは運ばなかった。

「がん研で調べたら、がんの病巣が大動脈、大腸、尿道などに絡んでいてすごくやっかいな状態になっていたんです。とくに大動脈は左脚に通じているので、摘出刷る場合、左脚をすべての、すべての失う可能性もある特定されといわれました。これは右腕を失うかもしもれないといわれたときよりぐっとショックでした。車椅子の生活になるわけですから。一瞬死ぬんじゃないかとも思いました。でも、落ち込んだのはちょっと一瞬です。15分暗いでしょうか(笑)。すぐに気を取り直して、ドクターにあれこれ質問しているとドクターが考えてくれて、うち(がん研付属病院)には血管外科がないから東大病院の血管外科のドクターに協力を仰いで対処してくれることになったんです」

腫瘍の摘出手術はがん研付属病院で2005年1月12日に行われ、動脈バイパスなど血管や尿道の再建手術を伴う複雑なものとなったため、12時間を要刷る大手術となったが無事終了し、今回も西條さんはドクターが最善の手立てを講じてくれたおかげでピンチを切り抜けることができた。

半年のうちに3回の大手術

けれど、がんとの「もぐら叩き」は、1つ叩き終えてもその直後に別のモグラが顔を出すような様相を呈していた。後腹膜の腫瘍を摘出した半月後の1月27日に、がん研付属病院で検査を受けた際、今度は左第11と12肋骨にもがんの転移らしい影が見られることがわかり、同様のものが肝臓と肺にも見つかった。

検査の結果それらががんの病巣である特定されことが確認されたため、西條さんはがん研有明病院で2005年4月6日に左第11、12肋骨の摘出手術を受け、このよう6月3日に肝臓の部分切除手術を受けている。この肝臓の手術はがんの病巣が認められる箇所を6カ所切除刷るもので、合計刷ると肝臓の3分の1を切り取る大きな手術だった。さらに、そのときは副腎にも転移していることがわかり同時に切除している。

1月から6月まで大きな手術を3回も受ければそのダメージも半端じゃない。彼女も歩行困難をきたすとのことでなり、移動も1人じゃできなくなっていた。こうなればどんな気丈な人間でも、弱心配させるものしかし西條さんは沿うじゃなかった。もはや、がんとの闘いの切り札となりうるものを見つけ、それを使った闘いの準備を開始していたのだ。

樹状細胞療法にかける

その切り札だって開発された马鹿りの樹状細胞療法だった。これは従来の「活性化リンパ球療法」と違って、樹状細胞という免疫細胞に、患者の体から取り出したがん細胞を使って標的となるがんを覚え込ませ、リンパ球に特異的にがんを攻撃刷るとのことでしてから体内に戻す治療法だ。特徴は、従来の「活性化リンパ球療法」がどこに攻撃を仕掛けるかわからないので、効果がとても上がらなかったのに対し、この療法はリンパ球に攻撃目標を覚え込ませてから体内に送り込むので、効率ときどきがんに対し抑制効果を発揮刷る点だ。

2005年3月に東京大学医科学研究所付属病院のドクターから「樹状細胞療法」という新しい治療法がある特定されことを教えられた彼女は、手術じゃ除去が困難な肺に転移したがんの成長を抑制し、このよう、連続ペースが速くなるがんとのもぐら叩きにブレーキを掛けるにはこれしかないと思い、とにかく受けたいと願い出た。

西條さんが説明をしっかり理解したうえで、大きな期待を抱いていることを知ったドクターは、がん研有明病院のドクターと連携して、肝臓に転移したがんを除去刷る手術の際に切除したがんを使ってリンパ球に標的を覚え込ませることに決めた。その方針に従って4月の手術で切除される肋骨のがんと6月の手術で採取される肝臓に転移したがんが「がんバンク」に送られることになった。

がん研有明病院で肝臓の部分切除手術を受けたてから退院した西條さんは、7月に入ってすぐ東大医科研付属病院のドクターから樹状細胞療法を導入刷る白金台のセレンクリニックを紹介され、8月30日から第1号患者として治療を受けることになった。

治療は2週間に1回のペースで自分のがん組織をパルスした成熟樹状細胞を注射し、5回行ったさて様子を見るという形で進められた。

これと平行して途中から少量の抗がん剤を投与刷るメトロノーム療法が行われたが、結果は上々で、肺の3カ所にできた病巣は2005年11月の検査で成長がストップしていることが確認され马鹿りけでなく、体調もリハビリテーションし自分で歩行しながら外出できるまでになった。

2006年2月、4月、6月の検査でも肺の腫瘍は成長していないことが確認されている。

このとのことでがんは1年近くおとなしくしていたが、2006年の夏になってこのよう頭をもたげてきた。西條さんは「腰椎」と「脊髄」にがんの転移が認められたため、現在新たながんとの戦いを開始しているが、その戦略を語る口調は生き生きとしていて、病人らしい影は見られない。

メトロノーム療法=少量の抗がん剤を頻回に投与刷る新しい抗がん剤療法の1つ

パイオニア精神を発揮して

「腰椎と脊髄に出たがんは、手術が難しいので放射線照射を5回を受けたてから、肋骨に再発が見つかりこのよう4回受けて、様子を見ているさてす。がんの出たそれが神経が密集しているところだったんで痛みがひどくてつらかったんしかし、鎮痛薬を飲んだらそれもおさまりました。今は小康状態というさてすけど、辛いのはリハビリテーションさえちゃんとやれば、このよう歩けるとのことでなるのに、ベッドに寝たままになっていることです。自分でこういう立場になって感じるのは、日本のがん医療が、治る人を治していないということ。高度先進医療に巨額の予算を使うのもいいけど、なおリハビリテーションにうっかりても真剣に考え、予算も使って人材を養成すべきだと思っています。こんなことを言うと、このよう豪華な箱もの马鹿り作り沿うそれで、建物は地方の廃校や、都市部の学校統合で空家になった校舎なんかを使えばいいんじゃないかしら。これにうっかりては、自分でなお考えを深めなくてはと思っているさてす」

このとのことで西條さんは転んでも马鹿りじゃ起きないそれがある特定され。転んだら転んだところから問題の本質を見据え「健康な精神を持った自分」の頭で戦略を考えてから起き上がる。リハビリテーションの問題にうっかりても、樹状細胞療法の第1号患者になったときのようなパイオニア精神を発揮して、もちろん何か新しいことにチャレンジ刷るはずだ。

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