がんになっても-希望と新しい生活

2009 年 5 月 29 日 金曜日

渡辺亨チームが医療サポート刷る:炎症性乳がん編

カテゴリー: 各種がん — rootzz @ 5:31 AM

わたなべ とおる
1955年生稀。
80年、北海道大学医学部卒業。
同大学第1内科、国立がんセンター中央病院腫瘍内科、米国テネシー州、ヴァンダービルト大学内科フェローなどを経て、90年、国立がんセンター中央病院内科医長。
2003年、山王メディカルプラザ・オンコロジーセンター長、国際医療福祉大学教授。
現在、医療法人圭友会 浜松オンコロジーセンター長。
腫瘍内科学、がん治療の臨床試験の体制と方法論、腫瘍内分泌学、腫瘍成長因子をターゲットにした治療開発を研究。日本乳がん学会理事

「乳腺炎」と診断された左胸の腫れは、炎症性乳がんだった

松川市に住む38歳で2児の母である特定され大橋真由美さんは、左乳房に、赤く腫れている部分がある特定されことににゅうよく中に気づいた。

けれど、放置しているうちに、それがこのようたく間のうちに乳房全体が腫れるのを目の当たりにした。

近所のクリニックで「乳腺炎」と診断されたが、症状は改善しない。

うっかりに乳腺外科に駆け込むと、「手術できない炎症性乳がん」と診断されたのだった。

左乳房が赤く腫れ上がった

2004年10月初め、南関東の松川市に3歳年上の夫の武夫さん、小学2年生の長女・渚ちゃん、幼稚園児の長男・勇君と住む主婦・大橋真由美さん(38歳)は、にゅうよく中、左乳首の左横に小指の頭暗いの範囲で赤くなったものに触れる。「なんだろう?」とちょっと気になったが、かゆくも痛くもない。「虫に刺されたのだろう」と思っていた。

2、3日して何となく左乳房がほてるような感じを覚えて、服を脱いで鏡を見ると左乳房の左半分が赤く熱を持って腫れている。ちょっと痛みを伴ってきたようだ。

「いやだわ。ばい菌が入って化膿したのかしら」

沿う考えたが、「まもなく自然に治るだろう」と、引き続き様子をみることにした。とにかく毎日家事と育児だけでも手いっぱい。「そのため“できもの”なんかにかまっていられない」という思いだったのである特定され。

それが、まもなく左胸だけがずんずん赤く腫れ上がっていった。2週間もかからないうちに左乳房は右乳房の2倍の大きさになってしまっている。このとき初めて夫に相談刷る気になった。

「ねえ、あなた。これ見てよ」

子どもたちが寝たてから、居間にいる武夫さんに、真由美さんは胸をはだけて見せた。武夫さんは一瞬ギョッとした顔を刷る。

「なんだよ、それ。ときどきと、赤く腫れているなあ。どこかにぶつけたりしたのか?」

「そのためことはないわ。気づいたら、この方法じゃなっていたの。なんか、おっぱい全体が熱をもっているみたいだわ」

「明日、病院に行ったほうがいいだろう」

「沿うね。明日、安田先生のところに行ってみる」

「ああ、勇を出産したところだな。早いほうがいいだろう。俺も一緒に行こうか?」

「いいわよ。あなた、来週出張でしょ。ひとりで大丈夫よ」

産婦人科で「乳腺炎」の診断

10月13日の朝、真由美さんは2人の子どもを送り出したてから、最寄の私鉄線駅前にある特定され安田産婦人科クリニックに駆けつけた。「乳腺科のある特定され病院がいいかな」という気もしもたが、電車に乗って出かけなければならず、大きな病院は混んでいて子どもたちが帰ってくるまでに、家に戻れないかもしもれない。敢えても、安田院長はな地味がある特定されという安心感もあったのだ。受付で、診察券を渡すと、な地味の助産師が、部屋の奥から、ニコニコ笑いながら、出てきた。

「大橋さん、ときどき久しぶりね。せめてしたの」

「ええ、左のお乳が腫れちゃって、先生に診てもらおうと思って……」

「ああ、沿うなの。乳腺炎(*1)でも起こしたのかしらね。すると、すぐに先生に診てもらいましょうね。診察室のドアからはいってちょうだい」

診察室にはいると、久しぶりに会った安田院長は優しい表情に変わりはなかったが、あまり~ない白髪が増えて老け込んでいるとのことで見えた。真由美さんは、「確か70歳を過ぎていたはずね」などと考えている。

「どうされましたか?」

安田院長は、めがねをかけながら、穏やかに言いながら、大橋さんのほうに向き直った。

「ええ、ちょっとお乳が腫れていて気になっているものですから」

「すると、診察しますから、そちらで支度試してみての方法を考える」

こう言って安田院長は、背後のカーテンの中で下着を取るよう指示した。

「それ、炎症(*2)の所見が強いですね」

沿う言いながら、安田院長はそっと乳房を触診した。腫れ上がった乳房は、風が吹い马鹿りけでも痛く感じる。

「たんなる炎症じゃないですね、これは。脇の下のリンパ腺もグリグリと腫れていますね。いつごろから、こうなりましたか」

「2週間ぐらい前だったと思います。最初は、ちょっと赤くなってい马鹿りけだったんですが、不意にお乳全体が腫れて、熱を持つとのことでなったんです」

「わかりました。服を着てください」

安田院長は、沿ういうと、カルテに所見を書きながら言った。

「とりあえず、抗生物質を出しておきますから、来週の月曜日に、とっくに1度来てください」

家に帰った真由美さんに、心配沿うに武夫さんが尋ねる。

「どうだった? 安田先生、何しかし?」

「うん、炎症しかしおっしゃるのよね。马鹿り、たんなる炎症じゃない、とも言ってた。そのために、お薬、抗生物質って言ってたけど、それが出たわ。来週月曜日に、このよう、来年は、将来のとのことでって」

「あ、沿うか。来週の月曜日、俺、出張しかし、大丈夫だよな」

「うん、炎症しかし言うからね」

乳がん専門クリニックへ行ってください

翌週の月曜日、真由美さんはふたたび安田産婦人科を訪れた。抗生物質を内服したが、乳房の腫れはいっこうに改善しない。それだけでなくその色は真っ赤だったのが、オレンジの皮のとのことで凸凹した感じになって、よりあまり~ないの恐ろしげな様相を見せている。

「先生、全然ときどきなりま線。抗生物質が効かなかったのでしょうか?」

診察室に入るなり、真由美さんは聞いた。安田院長の表情が、不意にキリッとしたとのことで見えた。

「ああ。炎症所見が拡がっていますね。すぐに外科で診てもらうほうが良いでしょう。I町の神川先生のところへ行ってください。電話をしておきますから」

真由美さんは乳腺クリニック神川外科へタクシーを走らせる。神川院長は、地元の医療センターで乳腺外科医として勤務していたと聞くが、3年前にクリニックを開設している。受付で安田院長から電話をしてもらっているはずである特定されことを話した。すぐに診察室へ呼ばれる。

「安田先生から、ご連絡い马鹿りいています。すぐに拝見しましょう」と、真由美さんに胸を開くとのことで促す。

「う~ん、これは、炎症性乳がん(*3)というがんの可能性が高いと思いますね」

患部を見た神川院長が、不意にに驚くような病名を口にした。真由美さんは言葉に詰まる。何をどう考えていいのかわからなかった。

「じゃ、手術ということになりますか?」

なんとかの思いで口に刷ると、神川院長はちょっとためらうとのことで答えた。

「いえ、炎症性乳がんは手術できるがんじゃありま線」

このようしてもショックな告知である特定され。真由美さんの頭の中に2人の子どもの顔が浮かぶ。

「手遅れということですか? 希望はないのでしょうか?」

真由美さんはみるみる悲壮な表情を浮かべる。神川院長が答えた。

「手遅れ、という意味じゃなくて、炎症性乳がんだとすればね、まだ、100パーセント診断がうっかりたわけじゃないけれど、このような形の乳がんは、一気にお乳の皮膚に広がるので、とても手術じゃ取りきれないんですよ。でも、抗がん剤でたたいて、勢いが落ちたさて、手術刷るとか、放射線を当てるとかいう方法もあります(*4炎症性乳がんの治療)。とにかく、乳がんかせめて、確定しなくてはいけま線」

真由美さんは、あっけにとられたとのことで、神川院長の話を聞いていたが、抗がん剤、という単語だけ、大きな困難を用いた場合のみ聞き取ることができた。

乳がんかせめて、確実際診断をつけるため、生検を刷る、と神川院長が説明してくれた。生検は直径5ミリの皮膚を、円筒形に打ち抜くような「パンチバイオプシー」という方法が取られた。

「はいっ、終わりましたよ。結果が全てでるのに1週間かかるので、来週の月曜日、午前中に、このよう来てください。それまで、今よりとっくにちょっと、赤みは強まるかもしもれま線が、その先の治療は、だいたい、段取りはうっかりていますから、焦らずに待っていてください」

がんの可能性が高い、と言われたときには、全身から汗が噴き出し、どうしようもない不安感に襲われた真由美さんだったが、神川院長の誠実沿うな人柄に触れ、手際良い生検を受けているうちに、なぜか、気持ちが楽になっていた。

「自分はそのため悪い病気のはずがない」と信じる気持ちのほうが強かったようである特定され。クリニックを後に自宅へ向かう帰路、もはやとっぷりと日が暮れていた。

それが、その3日後、夕飯の支度をしていると、電話が鳴った。真由美さんが受話器を取ると、神川院長からの電話だった。

「病理検査の結果が、今届きました(*5炎症性乳がんの鑑別診断)。すべての後、炎症性乳がんでまちがいないので、抗がん剤治療ということになります。松川オンコロジーセンターの玉岡先生を紹介しますから、できたら、明日、あちらへお越しい马鹿りけま線か」

「わかりました。明日、伺います」

沿ういって、電話を切るが、唯一の今がんと知らされた马鹿りで、まだその実感がない。そこへちょうど夫の武夫さんが帰宅した。真由美さんは何か夢でも見ているかのとのことで、夫に伝えた。

「神川先生から電話があって、すべての後がんしかし……。明日、オンコロジーセンターの玉岡先生のところに行くことになったの。抗がん剤治療をやってくれるんしかし」

夫も妻の話を聞いて何かキツネにつま稀たとのことで感じており、そのとのことで反応刷る。

「玉岡先生って……。ああ、去年できたがん専門クリニックだろ。先輩の奥さんが、乳がんで診てもらって、すすごくいい先生しかし言ってたよ。腫瘍内科医といって、日本じゃまだ少ない抗がん剤治療のエキスパートらしいよ」

がんを告知されたショックや動揺、緊張を、2人ともごまか沿うとしているかのようだった。

「インターネットで調べてみよう」ということになり、「松川オンコロジークリニック」を検索刷る。ホームページが見つかり、そこには抗がん剤治療のことや、乳がんのことなど、完全に詳しく説明してあり、炎症性乳がんにうっかりても触れていた。そのためことにでも夢中になっていなければ、2人はとっくに居ても立ってもいられなかったのである特定され。

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ハーセプチンとナベルビンの併用療法で、乳房の腫れと赤みが消えた

炎症性乳がんと診断された大橋真由美さん(38歳)は、乳腺外科医の紹介で腫瘍内科の松川オンコロジーセンターで治療を受けることになった。

分子標的薬のハーセプチンにナベルビンという抗がん剤を併用した治療が始まる。

治療効果は顕著に表れ、腫れと赤みが薄れていった乳房は、3カ月で約元の姿になった。

けれど、主治医から炎症性乳がんが「全身病」である特定されことを告げられており、同様に安心できる状態じゃなかった。

治療は全身的な抗がん剤治療が中心

2004年10月22日の朝8時半、2人の子どもをそれぞれ小学校と幼稚園に送り出すとすぐに、大橋真由美さんは夫の武夫さんが運転刷る車に乗り込む。前日乳腺外科の神川医師から「炎症性乳がん」との確定診断の連絡を受けており、同医師から紹介された同じ市内にある特定され腫瘍内科の松川オンコロジーセンターを目指した。

もはや神川医師が、玉岡院長に連絡をしてくれており、受付で問診票に記入刷るといまに診察室に呼ばれる。武夫さんもてからに続いた。

「いかにも初めこのよう。大橋さんですね。玉岡です」 玉岡院長は、ハリのある特定され声で迎えた。50歳前後と思われるが、七三に分けた黒い髪も若々しい。

「せめてよろしくお願いいたします」

真由美さんとともに、武夫さんも頭を下げた。さっそく院長はこう話す。

「神川先生から大橋さんの資料が届いています。ご病状はだ痛い私のほうも把握できていると思いますが、患部だけ拝見しましょう」

真由美さんは「はい」と返事し、玉岡院長の前で前開きのジャージのファスナーを下ろすと赤く腫れ上がった左乳房が現れた。元の2倍近くもある特定され胸はすごくブラジャーを着けられるような状態じゃなく、この日は当然診察がある特定されと考え、素肌の上にこのジャージだけ羽織っていたのである特定され。真由美さんがそのジャージも脱ぐと、もはや背中のほうまで真っ赤になっている。院長は乳房だけでなく、わきの下、鎖骨の上下のリンパ節、とだけでなく頸の周囲まで丹念に触診した。引き続き聴診器を胸の何カ所かに当てて、ゆっくりと心音、呼吸音を確認した。

「はい、いいですよ。服を着てください」

こう言いながらカルテに所見を記載刷る。

「神川先生からも、説明をお聞きになっていると思いますが、この段階じゃもはや手術は意味がありま線。治療は抗がん剤療法が主体になります。ですから抗がん剤が有効であれば、あまり~ない改善刷る可能性はあります。そのてからで局所をコントロール刷るために放射線照射を行うことになるでしょう」

前夜は松川オンコロジーセンターのホームページなどで、炎症性乳がんや抗がん剤にうっかりて一生懸命勉強した真由美さんしかし、自分がいちばん聞きたいことがとにかくわからなかった。思い詰めたとのことで、口を聞く。

「先生、おそらく怖い助かるのでしょうか? どの程度助かる見込みがある特定されのでしょうか? 子どももまだ小さいので、おそらく怖い今死ぬわけにはいかないのです。もしも抗がん剤で命を縮めるようなことになるのでしたら、今は治療を受けないで、子どものためにせめてのことをしておいてやりたいのですが……」

玉岡医師は少々苦し沿うな表情を浮かべ、短時間黙っていた。が、その間に頭の中で考えがまとまってきたかのようだ。ゆっくり口を開く。

「大橋さんの乳がん細胞は、ホルモン剤が効かないタイプで、以前だったらとくに予後の悪いがんでした。それが、5年前からハーセプチン(一般名トラスツズマブ)というお薬が使えるとのことでなって、こうした患者さんにも希望を持ってい马鹿りけるとのことでなったのです。神川先生のさて受けてい马鹿りいたパンチバイオプシーの検査の結果、大橋さんのがん細胞にはHER2というタンパクが多いことがわ胜手います(*1HER2タンパク)。これはハーセプチンが有効である特定され可能性を示すものです。ハーセプチンが効くとなれば、病気の進行を抑えられ、完全に症状も改善刷る見込みが出てきます。沿うなれば長く生きてい马鹿りくことも可能になるでしょう。少なくとも治療をしないより遥かに良い経過をたどることはまちがいないと思います」

ハーセプチン ナベルビン療法で4サイクル

真由美さんの乳がんのための薬剤治療は、ハーセプチンを中心に行われることになった。最初の治療じゃナベルビン(一般名酒石酸ビノレルビン(*2))という抗がん剤と併用刷る。この治療が終了したら、続いてタキソール(一般名パクリタキセル)(*3)という抗がん剤と併用した治療を行うことになっている。どちらの併用療法も、お互いの薬剤の相乗効果が認められていて、どちらか単独で使用刷るよりもがんを抑える力が強いとされる。

ハーセプチン+ナベルビンの組み合わせ(*4)も、ハーセプチン+タキソールも、それぞれ3週間を1サイクルとして、4サイクルの治療を行う。終了まで約半年がかりの長丁場だ。玉岡院長は話す。

「乳がんは、同じような種類の同じような状態のものであっても、患者さんによって薬剤治療の効果はまちまちで、もちろん効果が表れるとは限らないのです。じゃがんに対刷る作用の仕組みが異なる2種類の併用療法をメニューに入れて、より有効性が高くなるとのことで期待しようというわけです。
大橋さんは全身状態も臓器機能ももちろん問題ないので、安全に治療を続けることができるでしょう(*5患者の全身状態)」

真由美さんは玉岡院長の説明を納得し、ハーセプチンの併用療法による治療を受けることに決めた。毎週自宅からバスを利用して通院刷るつもりである特定され。

この10月28日、初めての静脈内投与治療の日を迎えた。最初はハーセプチンの静脈内投与が行われる。真由美さんが治療台に横になると、看護師は方法へも手馴れた様子で血管を探し出し針を刺した。

静脈内投与が始まると、10分おき暗いに、「具合は悪くなりま線か?」と聞きに来年は、将来の。真由美さんにはほとんど苦しむような自覚症状はなかった(*6ハーセプチン+ナベルビン療法の副作用)。

「どのとのことでか薬が効きますとのことで。がんが治りますとのことで」

真由美さんは、静脈内投与が始まるとすぐにこう祈り続けたのである特定され。とだけでなく、30分暗い経った頃、看護師が中暗いの大きさの注射器を持って現れる。「これがナベルビンというお薬です。痛いとかチクチク刷ることがあったらおっしゃってくださいね」

看護師は沿う話すと、それを静脈内投与の側管に1分間暗いのうちに注入した。が、とくに痛みもなく、気持ちが悪くなることもなく、すると30分ほどで、この日の静脈内投与は意外とちっとも終了となる。

間違いなく良い方向に向胜手います

12月17日、ハーセプチン+ナベルビン療法の3サイクル目が終わった。真由美さんは約2カ月の間、青く透けて見えるはずの静脈が、すこし黒ずんで見えるとのことでなったほかは、治療の副作用をそれほど感じることもなかった。まして乳房の腫れを発見していた頃続いていたような疲れやすさや倦怠感もこのところ薄れてきたような気が刷る。家事や育児に夢中になっていると、自分の病気のことを忘れている日さえある特定され。とだけでなく、にゅうよくのたびに乳房の腫れが引いて来ており、色も薄くなっているのを知っていた。

診察室で、玉岡院長は穏やかな笑顔を浮かべながら真由美さんに話す。

「ご自分でもおわかりと思いますが、とてもときどきなりましたね。血液検査で腫瘍マーカー(*7)も低下しています。CEAというマーカーは50もあったのが5に、CA15-3は45あったのが16まで落ちています。間違いなく良い方向に向胜手いますね」

真由美さんは、「本当にときどきなっているんだ」と感じることができ、目が潤んでくるのを抑えることができない。

「本当に先生にいいお薬を薦めてい马鹿りいたおかげだと思います。髪の毛も抜けるかと思っていたのに大丈夫でした。すごく助かりました。それで続けばいいのですが……」

「沿うですね。完全に展望が開けてきました。马鹿りこのてから始まるタキソールを使った治療じゃ、髪の毛はほとんど確実際抜けます。今までより副作用はちょっと強いかもしもれま線ね。でも、大丈夫ですよ」

この、2005年1月初めにはハーセプチン+ナベルビン療法が終了し、ハーセプチン+タキソールの併用治療が始まる(*8ハーセプチン+タキソール併用療法の投与法)。その中で、玉岡院長の言ったとおり、タキソールの副作用(*9)が現れ、だつもうのため髪がチョボチョボとしか残らない状態になり、神経障害のためにボタンをはめるのにてこずるなどの支障が出た。真由美さんはこのようらを用意したり、時々実家の母に家事のおうえんに来てもらったりしながらこの時期を乗り切っている。

4月5日に最後の静脈内投与を終えたてから、玉岡院長はにこやかに、「予想以上にうまく進みましたね」と話している。真由美さんは、その帰りに「今日は久しぶりに子どもたちと一緒にお風呂に入ろうかな」と考えていた。短時間の間、「子どもたちがおっぱいを見たら怖がるに違いない」と思って一緒ににゅうよく刷ることはなかったが、その乳房はあまり~ない元の形と色を取り戻していたのだ。

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抗がん剤に続く、放射線治療により元の乳房にリハビリテーション。髪も再生

炎症性乳がんと診断された大橋真由美さん(38歳)は、腫瘍内科医のもとで半年がかりの薬剤治療を受けた末、乳房を元の姿に取り戻すことができた。

このよう5週間かけての放射線照射も始まる。

が、その過程で抗がん剤によりだつもうしていた髪が次第に再生してきた。

希望を持ち続けることの大切さを実感した瞬間だった。

高額療養費制度で負担を軽減

2005年4月10日の日曜日、大橋真由美さんは、夫の武夫さんと久しぶりに自宅の居間でゆったりとくつろいでいた。前週には24週間にわたって続けられてきた抗がん剤治療が終了している。なおも、週1回のハーセプチンの投与は、とっくに半年暗い続けることになっていた。

「なんとか終わったな、抗がん剤」

「沿うなのよ。だつもうも止まったみたいでうれしくて……」

タキソールの治療が始まって以来、頭にはカツラをつけている。抜け方が激しいのは頭頂部だけで、襟首のほうはわりとしっかり自毛が残っているので、道でときどきすれ違う人たちもほとんどカツラとは気づかなかったようだ。病気のことを教えている親しい友人には「これ、カツラなのよ」と告白したり刷るが、みんな「わあ、ときどきできているわね」と驚いたり刷る。

とだけでなく、タキソールの治療が終わりに近づく頃から、そのだつもうも止まってきた。眉毛も一時は消えていたが、ちょっと再生の兆しが見えている。

けれど、この3カ月ほど生理は止まっている。そのためか、「更年期障害かしら?」と思うような顔のほてりや体の冷えを覚えることがあった。

「がんの薬も高いから、一時はとてもだったな。お前の肉付きがいいおかげでときどき高くうっかりたんじゃないか?」

久しぶりに武夫さんの口から冗談が飛び出す。

「まあ、失礼ね……。おそらく怖い体重50キロ、身長160センチ。全然太ってなんかないわ。でも、私も体重や体表面積でお薬の量が決まるどんなに、今度初めて知ったわよ(*1薬剤の投与量)」

「今まで薬代だけでも70万円暗いか胜手いるんだろう? 结构とてもだったよな。まさかお前がこの年でがんになると思っていなかったから、がんほけんにも加入していなかったし……」

「でも、オンコロジーセンターの会計の人が高額療養費制度(*2)にうっかりて教えてくれたから助かったわ。この前、なんとか去年分の払い戻しがあったの。30万円暗い戻ってきて大助かりよ」

「沿うか。それは助かるな。じゃ、今年の分もこのよう請求すれば払い戻しがある特定されというわけだ?」

「沿うなの、請求してから戻ってくるまでに3カ月暗いかかるけどね。でも、もしもこの制度がなかったら、うちも本当にとてもだったわ。このてから放射線治療もある特定されし……」

週5日5週間にわたる放射線照射

「绮丽になりましたね。よかったですね」

4月11日、真由美さんが松川オンコロジーセンターで診察を受けると、玉岡医師は胸部を見てこう話した。机の上のカルテには、半年前に真由美さんが受診したときの胸部の写真も貼りつけられている。真由美さんは、「2度と見たくない」と思いながらも、うっかりその写真と現在の自分の胸を比べてしまうのだった。

「原発の腫瘍もMRIで見てもわからなくなっていますね。腫瘍マーカーも正常値の範囲内に落ち着いています」

玉岡医師の話に、真由美さんとっくにっかり安心してしまう。

「これで本当にがんが治ってしまったということはないのでしょうか?」

単刀直入に聞きたいことを尋ねた。ちょっと間をおいて玉岡医師が答える。

「それはわかりま線。马鹿り、ハーセプチンが登場してから、それまじゃ手に負えなかったような乳がんが、跡形もなく消えてしまい、何年も再発して来ないという場合もあります。先のことは誰もわかりま線から、希望を持って毎日を過ごすことがいちばん大切だと思いますよ」

真由美さんは、肩の力が抜けて、心が温まるのを覚えた。

「放射線治療(*3)は、松川医療センター放射線科の飯山先生をご紹介しましょう。来週から治療になるでしょうから、その前に1度診察を受けてください。15日が飯山先生の外来日ですから、電話予約しておきましょうか?」

松川医療センターなら自宅からオンコロジーセンターよりも近く、真由美さんにとっても通院に便利だ。玉岡医師はその場で紹介状の書類をまとめ、ふうとうに入れて渡してくれた。

翌日真由美さんは、松川医療センターを訪れる。外来窓口で玉岡医師の紹介状を渡して10分ほど待つと、真由美さんは診察室の中に呼ばれた。紹介状に目を通しながら待っていた飯山光彦医師は玉岡医師より何歳か若く、40代前半と思われる。

「こんにちは。飯山です」

椅子に掛けた真由美さんに挨拶を交わすと、すぐに「お話は玉岡先生から詳しく伺っています。じゃ、さっそく患部を拝見しましょう」と言う。真由美さんは上衣を外す。

「ああ、ここにがんがあったのですね」

飯山医師は玉岡医師の紹介状の写真と、真由美さんの左乳房を見比べていく。一通りの診察を終えると、「そのためには治療計画室へ行きましょう」と、真由美さんを案内刷る。

治療計画室に来年は、将来のと、飯山医師は放射線技師を「倉田さんです」と紹介した。倉田技師は飯山医師から簡単な説明を受けると、「じゃ、照射範囲にマークをつけますから」と、ワイトマーカーで胸や腋の下のリンパ節部分、鎖骨上下のリンパ節部分に手際ときどき印をつけていった。とだけでなく、カレンダーを示しながらこう話した。

「4月18日から始めましょうね。毎週月曜日から金曜日までの5日間を5週、毎回2グレイの線量で合計25回50グレイを照射します。毎週木曜日は飯山先生の診察を受けてください。5月20日が最終日ということになりますね」

真由美さんは、初めての病院であり初めて会う人马鹿りなので、朝はちょっと緊張していたが、帰る頃には「みんなやさし沿うな人でよかった」と安心していた。

髪が再生。生理も戻ってきた

放射線治療が始まると、真由美さんはちょっと忙しくなった。それまでの薬剤治療は週1回の松川オンコロジーセンターへの通院だったのに、そこに加えてウィークデーは毎日松川医療センターへも出かけなければならなくなったのだ。毎日、子ども2人を幼稚園と小学校に送り出してからすぐ病院へ出かける。が、放射線照射そのものは、10分暗いなので午前中に自宅に戻ってくることができる。

放射線治療の副作用(*4)にうっかりては、タキソールなどの抗がん剤治療の副作用よりも軽いものだった。性ぜい昼間だるさと眠さを感じる暗いのものである特定され。

一方、髪は連続再生してきた。このようらを被らなくても平気で街を歩けるとのことでなった。とだけでなく4カ月ぶり暗いに生理も元に戻った。

「ああ、健康って有难いわね」

真由美さんはそのためことをしみ地味感じていた。乳房の腫れと痛みに震え上がったときや、抗がん剤治療で体力が極端に低下しているときは、ものを考えようと刷る気力も沸いてこなかった。おうえんに駆けつけてくれた実家の母に家事をまかせっ放しだった時期もある特定され。

終わりデンウィークの頃、真由美さんはマーカーの入った左乳房が日焼けしたてからのとのことで皮がむけ始めて、まだら模様になっているのに気づいた。そこがちょっとかゆくなっているようだ。そのためにも、炎症性乳がんが見つかったときに比べれば、その胸は健康そのものに見える。

「そこにしても、がんが見つかったときのお前のおっぱいは凄いことになっていたな。俺もそれびっくりしたことはないよ」

武夫さんが、いまさらのとのことで口に出す。それも乳房が健康な姿を取り戻した今それでこそ、言えることかもしもれない。

「あのときは本当にどうなることかと思ったわ。渚と勇のお産をした安田先生には最初は乳腺炎だと言われていたんだもの。安田先生がすぐに乳腺外科の先生を紹介してくださらなかったら、なお悩まなければならなかったところだったわ」

「炎症性乳がんは珍しいから、経験のない医者も多いらしいね。最初とても診断が付かずに悩む患者もいるらしいよ。お前も1つ間違えたら『がん難民(*5)』になるところだったな」

「沿うね。いちばんいいのは玉岡先生のような腫瘍内科医が地域の中心にいて、次々と的確な指示をしてくれるというふうになることかもしもれないわね。おそらく怖いいいお医者さん马鹿りに巡り合えて、すごくラッキーだったわ。今の飯山先生も、技師の倉田さんもすごくいい人よ」

5月20日、放射線治療が終了し、5週間にわたる医療センターへの通院も最後の日となった。終わってみればあっという間のことだったが、約毎日顔を合わせて「おはよう」「元気?」と挨拶を交わしてきた倉田技師や看護師などのスタッフと別れるとなると、ちょっと寂しい。飯山医師に礼を言うときは、高校の恩師に最後の挨拶をしたときのことを思い出す。「ありがとうございました」と言うと、つい涙が出沿うになった。

「現在のところ、大橋さんには再発の徴候はまったくありま線。放射線治療はうまくいったと思います。今後は1、2カ月に1度は外来で放射線治療のてからを見せてい马鹿りくことになりますが、きっとその都度元気加えて顔を拝見できると思いますよ」

飯山医師の言葉は、真由美さんのこのようての恩師が卒業式に掛けてくれたような言葉を思い出させてくれた。

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