がんになっても-希望と新しい生活

2009 年 3 月 27 日 金曜日

がん体験を社会に生かす、タレント・大橋巨泉がんを見逃さず、順調な予後。著名人のがんとうびょうの「モデルケース」

カテゴリー: 闘病記 — dahuang @ 3:27 AM

おおはし きょ線
1934年、東京生稀。
本名・大橋克巳(このようみ)。
早稲田大学中退後、ジャズ評論家、テレビ構成作家を経て、テレビタレントに転身。
「11PM」、「巨泉のこんなモノいらない!?」、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」、「クイズダービー」など数多くのヒット番組を手がける。
1990年には「セミ・リタイア」を宣言。
その後は執筆活動や、テレビ出演などをこなしながら、1年の半分以上を海外で過ごす。著書に『巨泉 人生の選択』、『がん―大橋巨泉の場合』など

日本でがんをオープンに語る環境がなおも整っていないのが芸能界だ。いかに名声があっても経済面から見れば一介の個人事業主で、自分自身が商品と経営者を兼ねているというじじょうがある特定されため、芸能人は著名になればなるほどがんを隠す傾向が強く、それがさまざまな憶測を呼んで「がん」じゃなく「がん報道」で大きなダメージを受けるケースも繰り返し見られた。対応するに、若いころからがんに人一倍関心を払い、早期発見と順調な予後を実現した大橋巨泉さんのケースは業界のモデルケースと言ってもいいものだ。

毎年受けていたドックがきっかけで胃がんを発見

1987年から1989年にかけてほうそうされた「巨泉のこんなモノいらない!?」
番組終了の翌年、巨泉さんは芸能界を「セミ・リタイヤ」刷る(日本テレビ提供)

巨泉さんが、がんの疑いが濃厚である特定されことを知らされたのは昨年5月、テレビ番組の撮影で出かけたパリでのことだった。日本からその知らせをメールで送ってきたのは、事務所の社長を務める弟の哲也さんだった。

発見のきっかけになったのは前月に井上記念病院(千葉市)の人間ドックで受けた検査だった。担当した医師から「胃の一部に疑問な部分がある特定され」と言われた巨泉さんは、スケジュールをやりくりしてパリに飛び立つ直前、同病院で内視鏡検査を受け、それがすごく早い段階でのがん発見につながった。

実は巨泉さんは30代の半马鹿ら毎年欠かさずドックに入っている。これはサラリーマンにとっては何でもないことでも、パターン化された仕事など1つもない売れっ子芸能人にとっては至難の業と言ってもいいかにいとてもなことだ。そのため面倒なことを毎年欠かさずにやり続けてきたのは「がんの多い家系」の一員という意識を強く持っていたからだ。

「実は僕は大学3年のときに母を子宮がんで亡くしているんですよ。このよう、そのてから妹も卵巣がんが見つ胜手、抗がん剤に苦しみながらなんとか助胜手いるんです。それで、いつかは自分にも来年は、将来のなという思いがぐっとあった。パリでがんの疑いが濃厚という知らせに接したときも、驚いたというよりは『最終的に来たか』という感じでしたね」

巨泉さんはパリで予定されていたスケジュールをすべての、すべてのこなしてから東京に戻り、ただちに国立がんセンター中央病院で内視鏡検査を受けることになった。その結果、早期の胃がんである特定されことが確認され、その日から2週間後の6月20日に入院。22日に胃の半分を切除刷る手術を受けている。

「報道被害」を避け、退院当日にがんを公表

この間の行動はすべての、すべての隠密裏に行われたため、無責任な一部マスコミの「報道被害」にあうこともなかった。

巨泉さんは、初めからがんを公表刷るつもりじゃいたが、入院中は治療に専念したかったので、そのタイミングを退院当日に設定していた。公表刷る場は11年前から排他的な列「内憂外患」を連載し、全幅の信頼を置く「週刊現代」に決めていた。結果的には以前から親しい関係にあった日刊スポーツの記者が週刊現代に出ることを察知して1日早く報じてしまったが、記事は興味本位な部分がまったくない質の高い内容だったので、後続のスポーツ紙や女性週刊誌は憶測を交えたセンセーショナルな記事を書くことができなくなり、巨泉さんは報道被害に遭わずに無事退院刷ることができた。

「退院当日の7月4日に公表刷るまじゃ極力伏せておくことにしたのは、仲のいい兵ちゃん(石坂浩二さん。本名武藤兵吉)が直腸がんで同じ国立がんセンターに入院したとき、ある特定されことないこと書かれてとても迷惑したのをときどき覚えていたからです。そのときは、僕も彼を見舞った帰りに病院の出口のさて張っていた女性誌の記者にコメントを求められちょっと話したんしかし、てからで見ると、言ってもいないことを勝手に書き加えられていて、本当に嫌な思いをしているんですよ。沿うした事態だけは避けたかったので、夏を例年のとのことでカナダで過ごさず、がんの検査のため、東京に戻ることも知らせたのは、事務所の社長をしている弟、僕のマネージャー、事務所の数人のキースタッフ、パリの特集番組を制作しているプロダクションの社長、そこに石坂浩二夫妻暗いで、妹や娘たちにも知らせなかった暗いなんです」

40年来の親友、王貞治監督

巨泉さんは退院後、カナダのバンクーバーにある特定され自宅で療養生活を送る傍ら、がんが見つ胜手から、入院、手術、退院、とだけでなくカナダでのリハビリテーション生活にいたる一連の流れを『がん―大橋巨泉の場合』という本にまとめ、昨年9月に講談社から刊行している。

今年7月、1人の胃がん患者が、胃の全摘手術を前に、この本を1日で読破している。福岡ソフトバンクホーショウノウの王貞治監督である特定され。巨泉さんは、この王さんとも40年来の親交があり、入院前からさまざまな助言を行っている。

「僕は夏はいつでもバンクーバーの家で過ごしていて、あれは7月に入ってすぐのことだと思うけど、インターネットを開いたらトピッショウノウのトップに、ソフトバンク王監督が『胃の異常で休養か』と出ていたんで、40年来の親友のことですから黙っていられなくて『ワンちゃん(王監督のニックネーム)、もしも胃がんだったら、去年9月に俺が贈った『がん―大橋巨泉の場合』という本を読んでみてよ。参考になる部分がある特定されと思うから』って彼にメールを送ったの。そしたら、律儀なワンちゃんのことですから、すぐにメールを返してよこして『去年確かに頂いたんですが、まさか自分ががんになるどんなに思ってもみなかったから、福岡のアパートのデスクに置いたままになっているんです。今、とっくに東京で、これから慶応病院に入院刷るところなので、福岡に戻っている時間がありま線。すいま線が1冊届けてい马鹿りけま線か』というんですよ。すぐに、弟のところに電話して、その日のうちに届けさせたら、1日たって『いかにも有難うございました。1日で読めました。ときどき判りました。入院前の心得から、術後はときどき噛むことまで、とても参考になりました』というメールが来ていましたよ。あの、日本中が彼のがんに注目して大騒ぎになっているときに、義理堅く丁寧なメールを送ってきたので、ワンちゃんらしいと思いました。彼は沿ういう人なんですよ(笑)」

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元巨人軍、牧野茂さんを膀胱がんで失う

巨泉さんが王監督に自著を読むとのことで勧めたのは、王監督と同じ暗い深い付き合いのあった巨人・V9時代の名参謀・牧野茂さんを膀胱がんで失い、残念な思いをした記憶が強く残っていたことが1つの要因になっている。

牧野さんは1975年、川上哲治監督の勇退とともに1度ユニフォームを脱ぎ、当時伊東に住んでいた巨泉さんの勧めに従って近くの伊豆高原に別荘を建て、同じ伊東カントリークラブのメンバーになった。そこによって、巨泉さんと牧野さんは2人でクラブ対抗(アマチュアのゴルフクラブ対抗選手権。各クラブが代表を出して争う)に出ようと本気で考える暗い親しい仲になる。その後、牧野さんは1981年に藤田元司さんが監督に就任刷るとヘッドコーチに返り咲くが、復帰3年目に体の不調を訴えて、検査の結果、膀胱にがんが見つかった。

そのがんに侵された体をおして牧野さんは84年に王貞治監督が誕生した後も、ヘッドコーチとしてチームに留まり、王新監督を作戦参謀として支えることにこだわった。

がんに人一倍関心があり、完全に知識もあった巨泉さんは牧野さんが膀胱がんと判明したとき『トシをとったら健康優先なんそれで、手術を受けたほうがいい』と強く勧めたが、ちょうど王政権が誕生刷る時期と重なったため聞き入れてもらえず、この肝胆相照らす仲だった6歳年上の友人をがんで失うことになる。

対応するに巨泉さんには、王さんには牧野さんの轍を踏ませたくないという気持ちが強かった。

女房が鬼になってくれた

慶応病院に入院後、王監督は7月17日に胃の全摘手術を受けているが、その後の経過は順調で、巨泉さんのもとにもメールで『おかげさまで手術とっくにまくいって、とっくにちょっとで退院できると思います』と伝えてきたので、巨泉さんも『良かったね。これからがとてもしかし、頑張ってね』とメッセージを送り返し、ちょっとほっとした気分になっていた。

「そしたら、再入院じゃないですか。すぐに、どうしたの? ってメールを送ったら、食べ物がつまってどうのこうのと言っていました。
ワンちゃんの場合は全摘ですから、十二指腸のつなぎ目が盛り上がって、ときどき噛まないと、じゃ食べ物が詰まって小腸のほうに流れていかなくなるんですよ。大事な注意事項をしっかり守っていないとのことで思ったけど、メールじゃ細かいことは言えま線から、9月の頭に日本に帰ってから慶応病院にお見舞いに行ったとき、マネージャー役をやっている次女の理恵ちゃんに言ったんですよ。『鬼嫁にならなきゃダメだよ』って。ウチ(寿々子夫人)は鬼嫁それで、リハビリテーション中は食事のとき、いつでもそばにいて『ダメダメちゃんと噛んでいない』と五月蝿いかにい言ってたんですよ。こっちが『何だよう』と文句を言っても、『いま30回噛んでいないわよ!』と言って見逃してくれないの。こっちも僕のためを思って鬼になっていることは判っているんで、『20回ぐらいだったかなあ』と言っててから10回噛むしかないんしかし、結果的に見れば、僕が大事な注意事項を守りきって今のような状態になれたのも、女房が鬼になってくれたからなんですよ。それで、理恵ちゃんに鬼になるよう言ったんしかし、すべての後奥さんじゃないと、厳しいこと言えないんだね」(編集部注:王監督夫人の恭子さんは2001年に胃がんで死去)

前立腺がんの疑いも

実は今年に入ってから巨泉さんは自分が別のがんにかかった可能性が高いと思ったことがあった。前立腺がんである特定され。

巨泉さんは毎年4月に人間ドックに入っているが、2003年に4.0だった腫瘍マーカーのPSAは、04年に5.7、05年7.2と上昇を続け、06年4月には10.2にまで上昇していた。

PSAマーカーの目安は、4.0までが正常、4.1から10.0までがグレーゾーン。10.1以上は異常という分類になっている。こうなると、いかにがんの中でも進行が遅いといわれる前立腺がんでも、がんの有無を確かめ、見つかった場合は治療を受ける必要がある特定され。巨泉さんも、前立腺がんの可能性が高いと思って触診、CT、MRIなどを受けたが、がんの兆候は見られなかった。そのためにいながら、PSAマーカーの数値はその後も上昇を続け、最終的に受けた検査じゃ13.2まで上昇していた。

「ここまで上がると、主治医の秋元さんもがんの可能性が完全にある特定されと思ったようです。前立腺がんには発見しにくいものもある特定されと聞いていたんで、約前立腺がんにまちがいないと思って、小線源(微量の放射線を出す針状の線源)を埋め込む手術を受けるために、スケジュールも1週間あけてたんですよ。最終的に前立腺がんの有無を判定刷る手段は細胞を採取して行う生検しかないですから、10月に入って、股とお尻の間に20箇所も太い針をさす生検を受けたんです。そしたら、結果はシロでした。小線源を埋め込む手術に使うはずだった1週間は必要なくなったけど、やれやれという感じですよ」

筆者が今回、巨泉さんの話を伺っていて、一番凄いなと思ったのは、実はこの部分だった。これまで、がんと診断されたときのことはあまり~ないの方々から聞くことができたが、がんを経験している方でも、検査が空振りに終わったときのことは、意外と語ろうとしないものだ。

けれど、がんはオール・オア・ナッシングで考えてはいけないものだ。

本質的に、がんの早期発見を目指す場合、一番重要なのはこうした「嬉しい空振り」なのだ。それを72歳とは思えない、張りのある特定され声で、ユーモアあまり~ないに多くのに語る巨泉さんは、有名人がん患者の鏡といっていいのじゃないだろうか。

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