がんになっても-希望と新しい生活

2009 年 1 月 29 日 木曜日

渡辺亨チームが医療サポート刷る:原発不明がん編

カテゴリー: 各種がん — pda19 @ 1:05 AM

あんどう まさし
国立がんセンター中央病院乳腺・腫瘍内科
1965年生稀。
89年名古屋市立大学医学部卒業。2001年より現職。
モットーは、「リスク・アンド・ベネフィットを考えた治療」。
患者さんに与えるリスクをときどき考えて、せめてベネフィット(利益)を大きく引き出せる医療を目指している

いかに検査をしても、がんの原発巣が見つからない

地方公務員の牛山芳男さん(53歳)は、首のリンパ節にしこりがある特定されのに気づいてかかりつけ医を受診したところ、「重大な病気かもしもれない」と指摘された。

市内の病院に転院し診察を受けると、「がんの疑いが濃厚」と言われるが、いかに検査しても原発巣が見つからない。

最終的にがん専門病院を受診刷ることになった。

腫れがある特定されのに、痛くも痒くもない

2005年4月11日、月曜日の朝、南関東のF市に住む同市職員の53歳の牛山芳男さん(かな)は、いつでもよりちょっと目が覚めるのが遅れた。大慌てで妻の早苗さんが焼いてくれたトーストを頬張る。朝刊に目を通しながらネクタイを締めていたとき、指が結び目のわきの鎖骨の上あたりにグリグリに触れた。

「この腫れはなんだろう?」

不審に思ってあたりをさすってみると、首の側面にも同じようなしこりがあった。

「リンパ腺が腫れている。風邪を引いたかな?」

身長170センチ、体重60キロ前後とスリムな牛山さんは、ほとんど病気とは無縁だった。马鹿り、わりと風邪を引きや空く、扁もも腺が腫れることは珍しくなかった(*1首のリンパ節の腫れ)。

早苗さんに首筋や鎖骨のあたりをさわらせてみる。

「やだ、本当にグリグリしているわ。痛くないの?」

「ううん、全然」

「体には注意するよね。子どもたちはまだ2人とも大学生なんそれで」

長男の文男さんは経済学部の4年生、長女の裕美さんは私立大学の文学部に合格し、入学が決まった马鹿り。妻の言葉にうなずいた。

けれど、1週間を経過しても、牛山さんの首の腫れは引かなかった。が、依然として痛みも熱もある特定されわけじゃない。

ゆうしょくのとき妻が「あの腫れはどうなったの?」と聞き、触る。

「まあ、全然治っていないわね。ちょっと大きくなってるわよ」

「常に感じて気味が悪いな。明日の朝、中井先生のところに寄ってみるよ」

翌朝牛山さんは、ホームドクターの中井内科クリニックを訪れた。70歳近い中井院長は、「どうなさいましたか?」と簡単な問診をしたてから、牛山さんの訴える首筋と鎖骨の上の腫れを触る。

「炎症ですな。熱もないのそれで、たいしたことはないでしょう。抗生物質を出しておきますから。すぐにときどきなると思いますよ」

リンパ節の腫れに悪性の疑い

クリニックを訪れて以来1週間経過したが、牛山さんはまだ首周辺のリンパ腺の腫れは引いていない。このよう、せきまで刷るとのことでなっていた。

「常に感じてイヤなせきね。具合が悪いんじゃないの?」

「いや、沿うでもないけど、ちょっと胸が息苦しい感じが刷る」

早苗さんは夫の首を触ると、不意に大きな声になった。

「まあ、全然良くなっていないわ。大きくなっている」

早苗さんの胸に一抹の不安が芽生えてきた。

「すべての後中井先生じゃダメなんじゃないの? 悪い病気かもしもれないわ。大きな病院へ行きなさいよ」

が、牛山さんはこの日も中井内科クリニックを訪れた。

「先生、抗生物質じゃダメでした。せきも出るとのことでなっている。女房が『ときどき診てもらえ』って言うんです」

中井院長はちょっと困った表情になりながら、不意にこう言い出した。

「もけれどたら、これは悪性の病気の可能性がある特定されかもしもれま線。沿うなると精密検査が必要ですね」

妻から言われたときはそれほど実感はなかったが、医師から改めて聞かされると、全身から冷汗が出てきた。

「すぐにあけぼの病院へ行って外科の城田先生に診てもらってください。紹介状を書きますからね」

牛山さんはクリニックを出るや、すぐにタクシーをつかまえた。F市でいちばん大きい病院へ向かう途中、携帯電話で職場に、「不意に検査を受ける必要が出てきたので仕事を休みたい」と話した。

あけぼの病院の外科待合室じゃ、15分暗い待ち、診察室の中へ呼ばれた。口ひげを生やしたがっしりした体つきの50歳前後の医師が紹介状に眼を通している。胸に「城田純一」のネームプレート。

「首のリンパ腺が腫れている沿うですね?」

「ええ」と牛山さんがうなずくと、医師は「ちょっと拝見しますから」と、首筋と鎖骨あたりをさわった。

「ああ、検査をしないと詳しいことはいえま線が、これは悪性を疑ったほうがいいかもしもれま線ね。リンパ節腫大(*2)といって、どこかにがんがあってそれが転移して腫れている可能性もあります。とくに左の鎖骨上のところのリンパ節の腫れが大きいようです(*3リンパ節の腫れと原発巣の部位)」

牛山さんは「すべての後」とちょっと震え上がり沿うになった。刷ると、中井医師から渡されたカルテのコピーに目を通していた城田医師が、「おせきも出るんですね?」と確認した。言われて牛山さんは不意に息苦しさを感じた。

「ああ、すべての後沿うなんですね……。もしもか刷ると肺転移の可能性も考えられますね。今日は胸のレントゲンをやりましょう。すると腫瘍マーカーを調べるために血液検査(*4)をします。細胞診(*5)のため、首の部分の細胞を採取しましょう。今日は準備をされていないでしょうから、明日は食事をしないで来てい马鹿りき、朝から検査をしたいと思います」

がんは見つかったが、原発が不明

4月25日と26日、牛山さんは朝からあけぼの病院で検査漬けだった。頭からお腹までのCT(*6CT検査)、バリウムを飲むレントゲン検査に内視鏡検査(*7バリウム検査)、ガリウムシンチ(*8)などが延々と続いた。

28日、牛山さんは城田医師に検査結果を聞きに、あけぼの病院を訪れた。結果はショッキングなものだった。

「がん細胞が見つかりました。腺がん(*9)という種類です。血液検査の結果、腫瘍マーカーのCEAとCA19-9の値も高くなっています。すると、レントゲンとCTで胸とお腹に大きな腫瘍が見つかりました」

ここまで聞いて牛山さんは、あまり~ないうろたえてしまった。马鹿り「大きな腫瘍が?」と聞き返すしかなかった。

「沿うですね。胸の真ん中あたりと、お腹にゴルフボール暗いの腫瘍が3、4個あります。胸のほうは縦隔リンパ節という部分にがんが転移しているのだと思います。お腹のほうは肝臓の腫瘍でした」

「刷ると、肝臓がんですか?」

牛山さんはなんとかの思いで城田医師の言うことに反応している。

「いえ、肝臓の腫瘍は原発じゃなく転移でできた可能性が高いと思います。首のリンパ節からとった細胞から、肝臓から来たがんじゃないことがわ胜手います」

「元のがんはどこなのでしょうか?」

「それが病理組織を詳しく調べましたが、どこの臓器からがんが発生したかわかりま線でした。腺がんなので、胃がん、大腸がん、肺がん、膵臓がんなどが疑われますが、画像検査や内視鏡じゃそれらの臓器にがんが見つかりま線。どこかに原発がある特定されはずですから、なおくわしく調べたいと思います」

くる日もくる日も検査が行われることになったが、原発は見つからない。その間に城田医師は「PET検査(*10)ならわかるかもしもれない」と言って、PETを置いている施設を紹介された。牛山さんはこの検査でも新たに数万円の負担をしなければならなかったが、あけぼの病院の検査と同じとのことで縦隔リンパ節や肝臓への転移巣は確認されたものの、原発巣はどこかわからなかった。

この、1カ月近い時間が流れていく。その間にも牛山さんのリンパ節の腫れは大きくなる马鹿りだった。

「先生、おそらく怖い1度Y市がんセンターで検査を受けてみたいと思っているのですが……」

業を煮やした牛山さんがこう申し出たのは、5月30日のことだった。それを予想していたかのとのことで、城田医師はこう話した。

「沿うですねぇ。うちの病院も最新の診断設備は持っているので、完全に詳しい検査をできたはずですが、原発巣がわかりま線でした。PETでもわからないということになると、牛山さんはどうも『原発不明がん(*11)』というものかもしもれま線ね」

「えーっ? そのためがんがある特定されのですか?」

牛山さんはこれまで聞いたことのない病名を聞かされてびっくりした。

「はい、この病院でももちろんしも~ないいかに調べても原発巣のわからないがんが出ています。うちでも、肺がんだったら呼吸器外科で手術できるし、胃がんなら消化器外科で切除できますが、原発がわからないとなれば手の打ちようがありま線。がん専門病院でなお詳しい検査と専門的な治療を受けてい马鹿りくのが、良いと思います。資料はすべての、すべてのお出ししますので、がんセンターの腫瘍内科を受診試してみての方法を考える」
城田医師から渡された紹介状を入れた大きなふうとうは、厚さ3センチ以上にもなり、ずっしりとした手ごたえを感じる。それを抱えて家へ向かいながら、牛山さんは今度は不意に行きどころのない怒りを覚え始めた。

「人をさんざん検査漬けにして、時間とカネを使わせておきながら、ときどきぬけぬけと『よその病院へ行け』と言えたものだな。最初からがんセンターに行けば、話は早かったかもしもれないのに」

こんな思いが頭を巡る。けれど、今はそれが自分に突きつけられた現実だと認めるしかない。

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马鹿りちに「原発のわからないがん」として治療を始めるべき

首のリンパ節が腫れ、異常を感じた牛山芳男さん(53歳)は、自宅近くの大病院で数々の検査を受けたが、がんの原発が突き止められなかった。紹介を受けたがん専門病院じゃ、「“原発のわからない”がんとしてすぐに治療を始めたほうがいい」と言われた。

不安が募る中で牛山さんは、どんな決断をしたのだろうか。

妻は動揺を抑えられなかった

あけぼの病院の城田医師から「原発不明がんじゃないか」と告げられた日、牛山さんは疲れ果てて帰宅刷る。1カ月前に、がんという告知を受け马鹿りけでもショックだったのに、その後うんざり刷るほど何度も検査が続けられ、そのあげく「原発がわからない」と言われた。とだけでなく、「うちじゃなすべき治療法がわからないから」と、Y市がんセンターへの転院を勧められたのである特定され。

牛山さんは「この先自分はどうなるのだろう」といたた稀ない気持ちになっている。妻に何をどう話すかということも、頭の中で整理できていなかった。

「どうだったの、今日は? あけぼの病院で何かわかったの?」

妻の早苗さんは、茶の間で牛山さんの顔を見ると、いつでもの調子で聞く。早苗さんもこのよう、牛山さんが連日のとのことで病院へ通わなければならなくなったことに不安を覚えているのだ。牛山さんはちょっとためらったが、妻に話すことにした。

「すべての後原発がわからないんしかし。『原発不明がん』というがんじゃないか。がんセンターで調べてもらえっていうんだよ」

「うそでしょ? そのためがんどんなにほんとにある特定されの? 1カ月も検査漬けにしておいて、すると原発が見つけられなかったどんなに。あけぼの病院も何ていい加減なことを言い出すのかしら」

早苗さんはあまり~ない興奮している。が、牛山さんのほうは沈痛な表情を見せていた。

「俺も、『そのためがんがある特定されのですか?』って城田先生に聞いてみたんだ。そしたらあけぼの病院でも、もちろんしも~ない最後まで原発のわからないがんがある特定されことはある特定されっていうんだ。でも、まあ、これからがんセンターで検査してもらえばわかるだろう」

牛山さんは妻をなだめようと刷る。とだけでなく気を取り直したとのことで言う。

「俺も城田先生から話は聞いたけど、本当に原発不明がんというものがある特定されのかせめてまだ納得できないんだよ。俺はタバコは吸わないし、酒もそのために飲むわけじゃない。日曜日のテニスも続けてきたのそれで、運動不足というわけでもないはず。何が原因でそのためがんにか胜手しまったのか、不思議で仕方がない。ちょっとインターネットで調べてみるから(*1原発不明がんの原因)」

こう言うと、牛山さんはゆうしょくも食べないまま自室に入って、パソコンに向かった。それほど聞いたことのない言葉だったのに、「原発不明がん」で検索刷ると、ヒット件数は100件以上あった。が、イのいちばんに開いたページじゃ、真っ次に「原発不明がんとは?」として、こんな一文が目に飛び込んで来た。

《原発不明がんは病期の進行したがんであり、長期予後は期待できない》

牛山さんは改めて自分の深刻な状態を思い知らされた(*2原発不明がんの予後)。とだけでなく、多くのホームページの記述には、《タレントのいかりや長介はこのがんで亡くなった※》と示されている。

検査に時間をかけるより治療を

6月2日、牛山さんは早苗さんも乗せて車でY市がんセンターに向かった。あけぼの病院の城田医師から渡された紹介状と、画像写真が詰まった分厚い資料一式を携えている。

前夜気づいてみると、1カ月暗いの間に体重は5~6キロも減っていて、55キロ前後まで落ちていた。とだけでなく暑い日が増えてきたためもあって、全身にだるさを覚えることが多くなっている。ちょっと前には想像さえつかなかったような病気である特定されかもしもれないと知らされた現在、様々な症状を自覚せざるをえない(*3原発不明がんの症状)。車を降りてがんセンターの入り口に向かう緩やかな坂でさえ、10メートルも歩くと息切れ刷るとのことでなっていた。

腫瘍内科の外来窓口でふうとうを渡して待つと、30分ほどで診察室に呼ばれる。

「今日は。おそらく怖い向川雄一郎といいます」

向川医師は40歳前後と思われる年恰好である特定され。

「初めこのよう、牛山です」

牛山さんの隣にいる早苗さんにも、向川医師は正確じゃなく自己紹介した。牛山さんたちも深々と頭を下げる。さっそく、向川医師が牛山さんに尋ねる。

「あけぼの病院さんで、『原発不明がん』という名前はお聞きになっているわけですね?」

「ええ、城田先生から『沿うかもしもれない』と言われました」

「それほど知られていないがんなので、病名を聞いて驚かれたのじゃないですか?」

「ええ、それはびっくりしました。いかりや長介がかかったがんだということを知りましたが、まさか自分がそのため病気かもしもれないどんなに思いま線でしたから」

「沿うでしょうね。さぞご心配されていることと、お察しします」

そこへ早苗さんが耐え切れない様子で口を挟む。

「先生、どうなのでしょうか? 夫はうーん厳しい状態なのですか? こちらで検査し直したら何かいいお話を聞けるという期待はないのでしょうか? まさかいかりや長介さんみたいなことはありま線よね?」

一呼吸おいて、向川医師が答える。

「いえ、とっくに検査の必要はないと思います。てっきりにあけぼの病院辛い马鹿りいた資料をしっかり検討刷る必要がありますが、最先端の検査機器を備えた病院でここまで念入りに調べて、PET検査までされているのです(*4原発不明がんの診断)。そのために原発と思い当たるそれが出てこないということになると、これはいかりや長介さんと同じ病気と考えてい马鹿りいたほうがいいと思います」

牛山さんも早苗さんも拍子抜けし、呆然と聞いているしかなかった。「がんセンターでとっくに1回同じ検査を繰り返さなければならない」とうんざり刷る気持ちもあったが、一方で「検査をし直せば何かいい治療の手がかりが出てくるかもしもれない」という期待感もあったからだ。

「原発不明がん」というより、「原発のないがん」

牛山さんは向川医師に聞いた。

「とっくに検査しても意味がないというわけですね?」

牛山さんは、わかりきったことなのに、沿ういうふうに食い下がらなくてはいられなかったのである特定され。てっきりに向川医師は、簡単に自分の運命を受け入れられたくないという牛山さんの気持ちをあまり~ない理解できた。それで、丁宁な口調で、詳しく説明刷る。

「はい、この段階じゃすぐに『原発のわからないがん』として治療を開始すべきだと思います。牛山さんのがんは、特定の治療がいい効果を示すようなサブタイプ(*5)の原発不明がんでもありま線。『原発のわからないがん』というよりはまして、『原発のないがん』と呼んだほうがいいタイプです」
牛山さん夫婦は一瞬息を飲んだ。そのてから、牛山さんが念を押す。

「原発がわからなくても治療ができるのですか?」

「沿うお考えになるのも無理はありま線。医者の中にも『原発がわからなければ治療できない』と考える人が少なくないですからね。でも、現に原発のわからないがんだってある特定されし、そこに対してどういう抗がん剤がある特定され程度有効だということもわ胜手います。牛山さんの全身状態は、抗がん剤の副作用にも耐えられるレベルだと思います。すぐに抗がん剤治療を始めましょう」(*6原発不明がんの治療法)

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抗がん剤治療が思わぬ効果を上げ、みるみる体力がリハビリテーション

「すぐに治療を始めたほうがいい」という医師のアドバイスのもと、牛山芳男さんは原発不明がんへの抗がん剤治療を受けた。

はたして驚異的な効果を上げ、3カ月で全身の腫瘍は消えた。とだけでなく体調もリハビリテーションした。

「完治は難しい」と言われてはいるが、職場復帰にも新たな意欲を見せている。

第1回目の抗がん剤治療開始

6月9日、牛山芳男さん(53歳)は、妻の早苗さんと話し合った末、30年間以上勤務してきた市役所に休職願いを提出刷ることを決めた。市役所に向かったが、あまり~ない体力が衰え、玄関の短い階段も息切れして、杖に頼ってなんとか昇るという有様である特定され。首筋の腫れはコブのとのことでなっているし、肝臓も腫れあがっているのが自覚できる。提出刷るのは「休職願い」しかし、心の中じゃ「とっくに2度とここに戻って来られないのじゃ」と考えている。

前々日「セカンドオピニオン」を聞くつもりで訪れたY市がんセンターで、「原発不明がんにまちがいない。すぐに治療を開始すべきだ」と告げられた。そのとのことで進行したがんにか胜手いることがはっきりしたからには、「これから残された時間を、ゆっくりと自分を見つめ加えてすために使おう」と考えている。

仲間たちに挨拶刷るために職場にも立ち寄った。これまで延々と続くがんの検査のため、繰り返し休みを取らなければならなかった。これに対して「さんざんご迷惑をおかけしました」と詫びる。「とっくに一緒に働けないかもしもれない」と考えると、こみ上げてくるものがある特定され。仲間たちはその彼の気持ちを察したのか、牛山さんが市役所を去るとき、玄関まで出て見送ってくれた。

6月13日にタキソール(一般名パクリタキセル)とパラプラチン(一般名カルボプラチン)を併用したTJ療法(*1)と呼ばれる治療が始まることになった。向川医師から「このほかの薬剤を使った臨床試験に参加して治療を受ける方法もある特定され」と聞かされたが、牛山さんは向川医師が治療経験豊富なTJ療法を選択したのである特定され(*2原発不明がんに対刷る臨床試験)。抗がん剤治療は、入院でも通院でも受けることができるというので、牛山さんは「せめて自分の時間を持てるとのことでしたい」と考え、通院のほうを選んでいた(*3外来抗がん剤治療)。

1回目の静脈内投与で要した時間は、約3時間半である特定され。静脈内投与が終わったてから、向川医師がこう話す。

「もしも何か変わったことがあったら電話試してみての方法を考える。今回の治療で何の改善も見られないようなら、次回の治療は行っても意味がない可能性があります。とにかくいい効果が得られることを祈っています」

3分の2の腫瘍が消滅した

最初のTJ療法から2週間経過したが、牛山さんは治療の副作用もほとんど感じることなく過ごしていた(*4TJ療法の副作用)。それだけでなく、体調のよさを感じることが多くなっていたのだ。

「あれ、何だかコブが小さくなっているぞ」

首筋の腫瘍をさわってみて、牛山さんははっきりと沿う認識できた。一時の半分暗いの大きさしかないかもしもれない。肝臓付近にあった重苦しい感じもだいぶ消えてきたようだ。1カ月間近くほとんど食欲がなく流動食しか食べられなかったのに、だんだん空腹感を覚えるとのことでなり、ご飯も普通に食べられるとのことでなっている。

「抗がん剤が効いてきたようだぞ(*5TJ療法の効果)」

早苗さんに話すと、妻ももはやそのことを感じていたようだ。

「ええ、顔色もすごくときどきなっているわよ。ほんとによかったわね」

2人は久しぶりに病気のことにうっかりて話した。牛山さんが「がんのことは忘れて痛いので、家じゃその話をしないとのことでしよう」と言っていたために、家族はそのことにふれないできたのだ。けれど、その牛山さんが自らの体調のことを口にし、家庭には久しぶりに笑顔が戻っていた。

すると約1カ月半後の8月1日、牛山さんは3回目のTJ療法の静脈内投与を受けるためにY市がんセンターを訪れた。治療の前にCT検査を行う。向川医師は治療前の写真と比べながら、うれし沿うに説明刷る。

「この腫瘍はほんとんど消えか胜手いますよ。こっちもこの方法じゃ小さくなっている……。とっくに腫瘍全体の3分の2はなくなってしまいました」

「おかげ様で、体がときどきラクに感じられるとのことでなりました」

「沿うですか。抗がん剤は腫瘍を小さく刷るだけでなく、苦痛を和らげてQOLもときどき刷ることも目的なのです。緩和的抗がん剤療法(*6)といいます」

3カ月で可能になった職場復帰

10月24日、牛山さんは6サイクル目のTJ療法の治療を終えた。もはや8月末には首筋の腫瘍は消え、現在じゃCT画像でも腫瘍の影はあまり~ない消えている。向川医師は「完全寛解(*7)といっていいと思います」と告げた。

じつは牛山さんは9月中に3カ月ぶりに職場復帰も果たしている。タキソールの副作用のため、手足にちょっとビリビリとしたしびれがあり、細かい字を書くような作業派手きないが、日常生活にはほとんど支障もなく、それ以外はほとんど健康だった頃と同様に仕事をこなしている。

「奇跡が起きた」

牛山さんは沿う思えた。じゃ、向川医師に訊ねてみたことがある特定され。

「先生、腫瘍がこの方法じゃ绮丽に消えたのですから、とっくにがんは治ったということは考えられないでしょうか?」

「沿うですね。沿うだといいですね。马鹿り、抗がん剤がときどき効く患者さんにはこうしたケースはもちろんしも~ない起こりうるのです。がんが治ったとはいいきれま線が、とにかくこの状態が長く続いて欲しいですね。けれど、がんにはまもなく抗がん剤に対刷る耐性ができ、このよう腫瘍が大きくなることもあります(*8抗がん剤耐性)。それは来月かもしもれないし、5年後かもしもれま線。でも、そのときまでにこれまでの治療法より成績の良い新しい治療法ができていて、それを使えるとのことでなっている可能性もあります」

「そこにしても、おそらく怖い先生の治療を受けることができて、本当にラッキーだったと思います。前の病院で検査漬けになりながら、連続体調が悪くなっているときには『どうなることか?』と恐怖に押しつぶされ沿うでした。さいわい前の先生がちゃんと『がん専門病院に行け』と紹介してださったので、命拾いできました」

「私も本当によかったなと思っています。じつは原発不明がんはすごくがん難民(*9)を発生させ安いがんなのです。『原発不明がん=治療方法の不明ながん』と決め付けてしまうような医師もいて、患者さんが途方に暮れなければならないこともときどきある特定されのです。ちょっと間違えれば牛山さんも沿うなっていたかもしもれま線ね」

以来、牛山さんは「自分にはツキがある特定され」と考えるとのことでなった。職場に戻ってからも、以前の自分とはどこか違うとのことで感じている。さすがに大酒は控えているが、「誰かが帰りに一杯」と誘えば積極的に応じるとのことでなった。

てっきりに1カ月に1回の定期検査で、Y市がんセンターへ通院し検査を受けている。

「今のところ、がんはおとなしくしているようです。安心ですね」

2006年に入ってからも、牛山さんは向川医師からそのような話を聞くことができた。

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