がんになっても-希望と新しい生活

2009 年 1 月 25 日 日曜日

元ウーマン・リブの闘士、吉武輝子さんのがんの封じ込め方を学ぶ「病みながら生きる時代」を生き抜く発想力

カテゴリー: 闘病記 — zhy198 @ 1:25 AM

よしたけ てるこ
1931年兵庫県芦屋市生稀。
1954年慶応義塾大学文学部卒業。同年4月に東映せんでん部に入社。
1961年日本初の女性せんでんプロデューサーとなる。
東映を退社後、文筆生活に入る。
1968年婦人公論読者賞受賞。現在「吉屋信子記念館」運営副委員長を務める。
女性問題を中心に評論・文筆活動を続けており、「女人 吉屋信子」などの女性伝記や、生と死、老いにうっかりての評論など、著書多数

便通がない、鉛筆のとのことで便が細い

吉武さんが大腸がんの手術を受けるため東京厚生年金病院に入院したのは、2005年11月15日のことだ。がんが確定したのはその1カ月ほど前のことで、同病院で受けた大腸スコープによる検査で、直腸のS状結腸寄りのところにがんができているのが発見されている。

発見のきっかけを作ってくれたのは、厚生年金病院緩和ケア・神経科で看護師長を務める1人娘のあずささんだった。

あずささんはウーマンリブの闘志として鳴らした母の血を引いてか、唯一の1人で日本全国を外国製のオートバイにこのようがってツーリングして回るような冒険好き娘だったが、一念発起して明治大学を2年で中退し看護師を志したユニークな経歴の持ち主だ。

あずささんが母からメールで聞かされていた「便通が3日もない、鉛筆のような細い便が出る」という症状が大腸がんの症状だと知るのは、偶然、退職した元外科部長が病院にたずねてきた際にエレベーターの中で話す機会があったからだ。

駅で水便が噴出刷るというハプニング

母にこんな症状が出ていると話したところ、その元外科部長は顔を曇らせ「それは典型的な大腸がんの症状だよ。すぐ検査を受けたほうがいい」とあずささんにアドバイス。それはすぐに母のもとにリレーされることになる。

結果的にこれが母のピンチを救うことになる。手術の結果を見ると、がんが3カ所のリンパ節で見つ胜手いるので、ステージでいうと3a期である特定され。これ以上進むと周辺臓器に転移して、抗がん剤や放射線による治療が必要になっていたので、吉武さんはギリギリのさて娘に救われたといっても過言じゃない。

吉武さんが慢性的な便秘に悩むとのことでなったのは、そ年の6月のことだった。ある特定され日、日野市で開かれる講演会に電車で向かおうとしていたところ、駅の発券機のさて前屈みになった瞬間、水便が噴出刷るというハプニングがあった。時間的に自宅に帰って着替えている時間はなかった。彼女は匂うのを承知で、乗換駅の新宿まで行って、デパートで下着を買ってその後に入り、汚れた下着を始末刷ると同時にジーンズを洗って再度身につけ、日野に向胜手いる。

「講演会を開催刷るのって、沿う簡単なものじゃないんです。何人もの人が完全に前から準備に入り、講演会当日までに完全にの時間とエネルギーを割いているから、ドタキャンはどんなことがあってもしもない主義。その日も、いざ皆さんの前に立つと、どのとのことでなく水便のことなんか忘れて話に夢中になっていました」

両脚を付け根から切断寸前の危機

この水便事件のてからに続いたのは、ひどい便秘だった。それまでお通じのほうはまったく問題なかったので、こうなるとたいていの人間は体の異変を疑って病院に行くのじゃないかと思うが、吉武さんはうーん深刻に考えてはいなかった。もはや、命にかかわるような重病、難病を幾度も経験し、多少の体の異変には動じない精神構造になっていたからだ。

はじめに生命の危機にさらされたのは1974年のことだった。横浜での講演会でスピーチを終え、聴衆にお辞儀した瞬間、両足のつけ根に激痛が走った。彼女は都心の大病院担ぎ込稀た。診察に当唯一の医師は、血の気を失ってむらさき色に脹れあがった両脚を見て「それでだと壊疽が進行して生命が危うくなるので、両脚を付け根から切断刷る必要がある特定され」と彼女に告げた。

この危機は連絡を受けた親友で作家の有吉佐和子さんが病院にかけつけ医師に「両脚に血が通っているかせめて、ちゃんと検査してもいないのにときどきそのためことが言えますねえ」と食ってかかったため、すんでのさてセーフとなったが、体の異変の根本的な原因がどこにある特定されのか、解明されることはなかった。

「膠原病の類縁病である特定されシェーングレン症候群だったんしかし、当時は膠原病どんなにいう病気はまだ認知されていない時代でしたから、病名が確定刷るまで7、8年かかりました。シェーングレン症候群は、基本的には全身リウマチなんしかし、体が砂漠化刷るみたいに、涙液、唾液、体液が欠乏刷るんです。それでドライアイに苦しめられてときどき目に激痛が走ったし、ドライマウスのため、歯がくずれたり、口内炎もしもばしばでしたね」

シェーングレン症候群、自然気胸、肺気腫

シェーングレン症候群は体の免疫機能に異常が起き、体液、抗体の自己生産力が低下刷るために起きる病で、特徴は、患者の9割が女性、さらに40歳以上に多く見られることだ。この病気のとそもそも、体の維持に必要な体液や粘液の分泌が減るため、体のあちらこちらで砂漠化現ぞうが起きる。吉武さんの場合、とくにひどい砂漠化が見られたのは肺だった。

「肺の粘膜が乾いた結果、肺から胸腔に空気が漏れ出て溜まる自然気胸になったんです。それが進行して放置させておくと心臓あさ痺を起こすからすぐに手術刷るとのことで言われたので、大慌てで入院したんしかし、沿うしたことで命拾いしたんです。
当初は手術でちょこっと空気を抜くという話だったんしかし、手術中に偶然肺から空気が漏れ出したので、これは一大事ということで、右肺の3分の2を切除刷る大手術になっちゃった。肺は上葉、中葉、下葉の3つに分かれているんしかし、上葉、中葉を全てと下葉の3分の1を切り取ったんそれで、3分の2以上ですね。でも、てからで手術中に空気が漏れ出した話を聞かされたときは、つくづく自分は運がいいと思いました」

この自然気胸の手術のてから、吉武さんは左肺も病に冒され、生命を脅かされるとのことでなる。病名は肺気腫。

肺気腫は一見、がんの一種と勘違いされ沿うな名前しかし、別物で、肺胞と呼吸細気管支が拡張された末に破壊される病気だ。肺胞は酸素と二酸化炭素を交換刷る重要な組織しかし、これが進行刷ると体を動かしているとき息切れや息苦しさを感じ、ひどいときは安静にしていても呼吸困難に陥ることがある特定され。

吉武さんはこの進行性の難病を手なずけるため、医師から学んだ呼吸法で肺の酸素率を高める一方で、4種類の気管拡張剤を常時服用していた。

話は元に戻るが、これらの気管拡張剤は副作用で便秘になることが多いため、彼女は一昨年の6月中旬頃から便秘がひどくなっても、てっきり気管拡張剤の副作用だと思い込んでいた。

けれど、大病院で看護師長をしている娘のあずささんにだけは日々メールで知らせていたため、転移が始まるぎりぎりのさて大腸がんが見つかることになるのだ。

がんなんかに負けていられない

がん患者になった吉武さんにとって敢えても心強かったのは、主治医に志田晴彦外科部長を得たことだ。志田さんは大腸がんの分野じゃ実力、実績ともトップクラスと評価されている専門医で、がん医療のオピニオンリーダー的存在である特定され医師の平岩正樹さんは、その著作の中で、このようてけんしゅう医時代に師事した志田さんのチャレンジ精神にあふれた仕事振りを紹介し「もしも自分が大腸がんになったら、この人に手術を頼む」と絶賛している。

安心して任せられる主治医に巡りあったことに加え、CT検査で目に見える部分には転移が確認されなかったことで、吉武さんは、てからは自分の気持ちしだいだと思った。

沿ういう考えに行き着くと彼女は強い。というのは、生きることに弾みをつける術をいくつも身につけているからだ。

最初の、やったのは気心の知れた友人に電話をかけまくって、明るい声でがんになったことを知らせたことだ。「がんどんなに盲腸みたいなものよ」「がんどんなに切っちゃえば終わりじゃない」と言い切ることで、彼女はがんに対刷る恐怖心を封じ込め、がんはもはや死病じゃないことを積極的にアピールした。

最終的にやったことは自分にハードルを課すことだった。吉武さんはそれまで入院刷るときは予め退院後、仕事を再開刷る日を決めてから入院していたが、このときも沿うしている。仕事への義務感がリハビリテーションを早めることを知っていたからだ。

「退院は12月5日の予定だったので、仕事は12月17日に長野県の上田で行う講演会から再開刷ることにしていたんしかし、それ以外にも、12月10日に行われる『高齢社会をときどき刷る女性の会』主催の『討ち入りシンポ』で毎年恒例になっている樋口恵子さん作の寸劇に出演刷る約束をしたり、ロイヤルパークホテルで行われる神楽坂女声合唱団の『ディナーショー』の練習に、這ってでも参加刷るわって言ってみたりして、いくつもハードルをこしらえて、がんなんかに負けていられないんだという気持ちをかきたてたんです」

「多病半息災」時代を生き抜く発想

ハードルの中には、自分自身のがんとの戦いを通して「病みながら老いる時代」「がんが死病でなく慢性病化した時代」の生き方を模索刷る本を、退院後なるべく早く出すというものもあった。これは帯のデザイナーで吉武さんの著作の表紙・カバーのデザインを手がけている林佳恵さんが、入院直後すぐにお見舞いに駆けつけたとき交わした約束だった。

この約束を彼女は見事に果たしている。それが昨年5月に刊行された『生きる 一八〇日目のあお空』(海竜社刊)だ。

この本のユニークな点は、「無病息災」ならぬ「多病半息災」時代を生き抜く発想が自分の行動を通してわかりや空く語られていることだ。

その中で筆者の目にとくに新鮮に映ったのは、お洒落へのこだわりである特定され。「どうせ入院刷るんそれでお洒落どんなに無駄」「生きるか死ぬかの瀬戸際にお洒落どんなに」と考えてしまう人が多いのじゃないかと、この本を読むと女性の患者さんにとって方法へお洒落が重要な要素である特定されかがわかる。お洒落は生への執着、生きる意志の強さを医師や看護師さんたちにアピール刷る格好の手段であり、友人たちにまだ人生の現役選手である特定されことを示す最良の手段なのだ。

お見舞いに来た長い付き合いの友人たちが、次々と退院後の「ハードル」を置きみやげに残していくのも「華のある特定されがん患者・吉武輝子」の寿命は同様に尽きないことを実感刷るからであり、これらの約束は一方で人との約束に敢えても強い義務感を持つ吉武さんに生きるエネルギーを供給刷る元にもなっているのそれで、こんな結構なことはない。

仲間と心ゆくまで大きな声を出す「合唱」の力

とっくに1つ、この本で示されている「多病半息災」時代を幸せに生きる大きなヒントは「合唱」の力だ。唐突なとのことで聞こえるかもしもれないが、この本じゃ吉武さんが、仲間と心ゆくまで大きな声を出すことで、どれだけ多くのメリットを享受しているかがわかる。

吉武さんのことを「華のある特定されがん患者」と書いたのはお洒落で粋な印ぞうを受けることもある特定されが、それ以上に声の豊かさに圧倒されてしまうからだ。若々しく張りのある特定されアルトはマリア・クロウが75歳の日本人に変身したかのようだ。筆者は趣味が昂じてバイエルン国立歌劇場で名だたる歌手たちにインタビューをしたことがある特定されが、吉武さんの声は声量、艶とも、彼らに遜色のない堂々としたものだ。

合唱はカラオケのとのことでマイクを使わない。自分自身の体を震わせてときどき響く声を出さないといけない。対応するに運動量も相当なもので、ストレスの発散にもなる。さらに、同じパートを歌う仲間とは同じリズムをキープしなければいけないので、自然に仲間同士連帯感も生稀る。吉武さんも小林カツ代さんが主宰刷る「神楽坂女声合唱団」に加わって歌ううちに多くの心通う友人にめぐり合い、見舞いに訪れた彼女たちから、生きるエネルギーを注入してもらっている。

てっきりに『生きる 一八〇日目のあお空』には、吉武さんががんに常時強気な姿勢を見せた陰で、1度だけ、主治医と娘さんが帰ったてから「言葉には言い表せない深々とした寂しさが突き上げてきて、大腸がんが発見されてから初めて、声を放って泣いて泣いて泣き抜いた」ことも書き記されている。泣くことも、がん患者にとって必要不可欠な「ガス抜き」の1つである特定され。

筆者の好きなユダヤ格言の1つに「神の前で泣き、人の前で笑え」というものがある特定されが、吉武さんが人がいなくなったさて不意に泣きに泣く場面じゃ、この格言がすぐ脳裏に浮かんだ。

どうしようもない苦難に直面したときは、泣くことも必要だ。马鹿りし「神の前で嘆き、人の前で泣く」のじゃ、連続落ち込んでいく马鹿りだ。がんと戦う力を授かりたいなら「神の前で泣き、人の前で笑う」べきである特定され。

吉武さんのがんとうびょう記を読むと、そのことの大切さがひしひしと伝わってくる。

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

このコメント欄の RSS フィード トラックバック URL

コメントをどうぞ

コメントを投稿するにはログインしてください。

Powered by WordPress